KAZの靴の聖地・漂流記XXIV

 3月になり、KAZが待ちに待ったシーズンがやって来ました。何を待っていたのかって?もちろん本格的な

ゴルフシーズンです。英国はゴルフ発祥の地(正確にはスコットランド)なのだ。日本は幕末、桜田門外の変が起こった1860年に、かの有名なセントアンドリュースにて世界初のゴルフの選手権大会である全英オープンが初めて開催されているのだ。前述したように英国の気候は芝には最適なようでそこら中が芝生でおおわれている。国全体がゴルフ場のような所なのだ。

 KAZには、1年間英国に滞在している間に叶えたいと思っていることが3つあったのです。靴作りの知識を身に着けること、英会話を上達させること、そしてゴルフの腕を磨くことでした。

 英会話の上達は見込めないことが、この4ヶ月ちょっとの期間で、だいたい想像出来ている。そこで、残りの滞在期間でもっぱらゴルフの方で頑張ることにしたのだ。

 実は、KAZは深く傷ついていたのでした。ウイリアムから伝え聞いたレズリーの言葉に。あれだけレズリーには嫌われないようにと努めてきたのに。結果、完全に嫌われてしまったのです。あれ以来、レズリーがゲストハウスに顔を出すことはなくなりました。なのでKAZは、落ちた気持ちを立て直す為にも、ゴルフに打ち込むことにしたのです。

 本当に英国という国は、ゴルフをするのには最適なところです。18ホール1ラウンドを回る価格は1,500円程度。しかも車で15分も走らせればいくつかのコースが点在しています。ドライビングレンジ(練習場)やミニコースまで併設しており、施設は充実しています。毎週土日は飽きるまでコースで過ごすことが出来ます。

 KAZは、まず日本から持参してこなかったゴルフクラブを調達しなければなりませんでした。英国人は、非常にものを大切にする国民で、中古ものの売買が頻繁に行われている。KAZが15万円で買った車も日本ならとっくに廃車処分されるほどのボロ車で決して安くはなかったのですが、その値段で買わないと他の人に買われてしまう危険性もありました。家にはじまり、家具や革製のバッグなども、古いほど価値が上がるという体で、ものを大切にしていることがある種、自慢のお国柄なのです。そんな訳で地元夕刊の最後のページに毎日『売ります、買います』のコーナーがあり、様々なUSEDの品(中古品)が出品されていたのでした。

 ある日の夕刊に『ゴルフクラブ売ります』の記事を見つけました。価格は1万5千円。ちょうど狙っていた価格だったので、早速電話を入れてアポを取り、受け取りに出かけていったのでした。

 売主として記してあった住所の家を訪ねると、80歳にはなろうかという老人が出迎えました。ゴルフクラブを譲ってほしい旨の挨拶をすると、おもむろにその老人はこう質問してきました。

 「君はゴルフが好きかい?」

 「Yes」とKAZが答えると

 「どのぐらい」と老人

 「I LOVE GOLF!」とKAZ

 「では!」と老人が取り出して来たクラブが、50年前に父親が息子(その老人)にオーダーで作らせたというシロモノ。今や、完全にアンティークのクラブだったのです。

 すでにお分かりと思いますが、ここまでの流れを受けて、KAZがその老人に対して「こんなもん、欲しくないわ!」と断れる勇気を持っているはずがありません。

「こんな素晴らしいもの良いんですか?」とニコニコ顔で買い受けたのです。このクラブ、飾って置いたら十分価値のあるシロモノだったに違いないと思えるのだが、KAZがおバカな点は、『折角、I LOVE GOLF!といって譲って貰ったクラブだ!』とそのクラブを使って、実際にラウンドを続けたということで、結果、日本を出る前には、90を切る腕前だったのに、やればやるほどひどいスコアになり、フォームもボロボロ、終いには打ち方すら忘れる羽目に。120を叩くことも頻繁になり、腕を磨くどころかトホホな結果に・・。

Oh!poor KAZ!』 

 まったくかわいそうなKAZであります。

Photo

 

フェースにドットが入ったアンティークなクラブ

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記XXIII

通常、日本のアパートやマンションにあたる家を英国ではフラット(flat)と呼んでいる。フラットは、複数の家が一連の屋根の下に集まっている建物の中に入っており、江戸時代の長屋を2階建てにして、レンガ作りの頑丈な建物と思えば想像がつくかもしれない。このフラットもベットルームが、複数ある場合だと仲間数人で借りて(もちろんキッチンやバスルームなどは共有することになるのだが)、家賃をシェアすることも多い。KAZは、「3ヶ月の間、英国の生活に慣れるまでは、社長の家族と一緒に暮らし、それから一人暮らしを始めればいい」と言われていたので、もっぱら小さいフラットを借りて一人で住むか、場合によっては他人とシェアする形になるのだと思っていた。
 KAZが知らない間に、ウイリアムとレズリーが相談した結果、KAZ一人をフラットで生活をさせるのは無理(本当の理由は不明)と判断し、いっそのこと会社にやって来る海外からのバイヤーたちやセールスレップたちの宿泊先にも出来るからと、今後の事までを考えて、この豪邸を購入し、会社のゲストハウスにしちぁえと言うことになったらしいのです。

 当初の3ケ月が経ち、いよいよ心待ちにしていたカズの一人暮らしが始まりました。またまた驚くことに、このゲストハウス、ベッドルームが7つもあったのです。KAZはこのゲストハウスの管理人を任命されました。そして、その中でもメインであるツインの部屋があてがわれました。キッチンには、大型の冷蔵庫、それにオーブン、電子レンジはもちろん食洗器まで備えられ、家事室に乾燥まで出来る全自動洗濯機とアイロン。一人暮らしをするのには十分すぎるほどの設備です。
Photo 15万円で手に入れたボロ車

KAZは行動しやすいようにと、この日のために事前に車も買っていました。ウイリアムの友人から15万円と格安のボロ車ですが、走ればいいのですから、文句はありません。この車を使って、15分ほど行った所にある大きなスーパーマ―ケットに買い物に行けば、冷凍食品を中心に1週間分の食料品をまとめて買ってこれます。KAZにとっては、誰にも気兼することなく生活出来る十分すぎるほどの環境が整ったのでした。

 朝食は、卵とベーコンを焼き、トーストに大好きなコーヒー、昼食はカンティーンの使用を中止して、工場近くの売店でチーズサンドを購入、夕食は、メインの冷凍加工食品をオーブンにぶち込んで、添え物のポテトはレンジでチン、あとはえんどう豆やインゲンの青物野菜はこれも冷凍ものを湯がくだけ。それでKAZには大満足だった。ちっとも面白くはないが好きなだけTVを見、さらにバイヤーが来て泊まることは本当にまれだったので、今まで我慢してきたお風呂も肩までつかることが出来るようになってこれも大満足。英国に来てから初めて束の間の解放感を味わっていたのです。

 KAZが一人暮らしを始めてからもレズリーは、毎日のようにKAZを心配してゲストハウスにやって来ていました。食べ物で困っていることはないか?洗濯物はたまっていないか?電化製品の調子はどうか?とか聞いてきます。KAZはその度に「何も!」と答えるだけだったのです。KAZがいない間も時々見に来ているようで、ベッドカバーが洗濯されて取り替えられたりしていたりしていました。

 KAZの本当の気持ちとしては、この頃のレズリーの世話は『ちょっとウザい』だったのだ。誰に気兼ねすることも無く、自由な時間を手に入れたKAZにとっては、『僕は、もう大丈夫。レズリー、早く子離れならぬAZ離れして!』なんて、勝手なことを考えていたのです。

 レズリーにしてみたら、そんな気持はとんでもないこと。KAZという存在は、日本から来た大切な客人と言うよりも、年齢だけは26歳という立派な青年ながら、自分の本当の息子たちにも負けない、手の掛かる厄介な子どもだったのだ。

 アンドリュー以外の二人の息子は、全寮制の学校の寄宿舎暮しの為に、心配はしたくてもどうにも出来ない。長男のアンドリューは、年頃のせいでちょうど反抗期をむかえている。過干渉にすればもっと厄介になる事を賢いレズリーは知っていた。だから『レズリーには絶対嫌われない作戦』実行中の物言わぬ、おとなしい男KAZは、レズリーにとって面倒見がいのある存在だったのだ。そんなことで、レズリーは毎日のようにゲストハウスにやって来ては、あれこれと世話をやき、KAZはKAZで、本当の気持ちは封印して、いつものように言葉少なにニコニコと対応し平穏な日々を過ごしていいたのです。もちろん『レズリーには絶対嫌われない作戦』はずうっと継続していたのです。しかしそんなKAZの思いとは裏腹に、あの衝撃的な事件は起きたのでした。

 一人暮らしを始めてから1ヶ月程経った頃でした。KAZが仕事を終えて夕飯の準備をしているところにウイリアムがやって来ました。最近は、二人は会社でも滅多に会えなくなってなっていました。ウイリアムは今までと同じで必要以上のゆっくりした口調でKAZに語りかけてきました。

「大丈夫、変わりはないかい?」「困っていることとかはないかい?」

何か重要なことを伝えにきていることをKAZは察知しました。なのでいつも通り神妙に耳を傾けていたのです。ウイリアムは続けます。

「KAZ!英国に来て4ヶ月。もうそろそろ慣れてきただろう!」

「だから、あのもうちょっと、もうちょっと英語で話したらどうなんだい?」

「なんでも良いんだ!例えば、お皿がテーブルの上に」

「今日は、テレビを見るんだとか!」

「とにかく何でもい良いんだ!もう少し、しゃべる努力をした方がいいよ!」

KAZはか細い声で「Yes,I will try」と答えるだけで精一杯だった。

そして帰り際に、ついにこの言葉が発せられた。

「レズリーが、KAZは何もしゃべらず、ニコニコしているだけで、何を考えているのか分からず・・・」

「気持ち悪いって、言ってたぞ!」

 

 『レズリーには絶対嫌われない作戦』が完全に失敗していたことを知った瞬間でした。

Oh!poor KAZ!』

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XXII

 アメリカ人と食事を共にしたあともKAZの生活態度(behavior)は一向に変わらなかった。いつも通り、寡黙で、いい子で、余計な事(失敗や無作法)をしないように慎重に行動していた。レズリーが作ってくれる料理は毎回お代わりして、ついでにスイーツまでもお代わりして、でも「今日の食事は人生最高!」と毎日言えるわけもなく、ただ感謝の言葉を満面の笑みに代えて美味しかったを表現していたのだった。(今になって思えば「デリーシャス」ぐらいは言えたと思えるのだが?)

 KAZは思い出していた。KAZが小学校の低学年の時だった。その頃の宮城興業は東京の浅草に営業所があった。何人かの営業マンがいて、その中の一人が、在日韓国人の人であった。彼は日本生まれだから、もちろん普通に日本語を話すのだが、どこか日本人離れしたところもあった。毎月決まって山形の本社に営業の報告やら新しい仕事の打ち合わせでやってきた。その日は必ず、KAZの家で夕食をとることになっていた。茶の間のテーブルにKAZの母親が作った夕食が運ばれてきた。特段スペシャルな夕食ではない。ごはんとみそ汁に天麩羅などが少々と漬物ぐらいのものだ。食事が終わって母がお膳を下げにくると、その人は頭をテーブルにこすりつけるほどのお辞儀をして、大きな声でこう言うのだった。

「奥様!山海の珍味、おご馳走さまでした!」母にくっ付いていたKAZにはなんと言っているのか理解出来なかった。母は笑っていた。それ以来、KAZは毎月この人が来るのを楽しみにしていた。来れば必ず、夕食を食べ終わるまでじっと隣で待ち構え、「奥様!山海の珍味、おご馳走さまでした!」の声が聴けると「やったー!」と大喜びするのだった。母はその度に『くすり』とはにかむのだったが、何となくうれしそうでもあった。子供だったKAZは、その時も思っていたのです。『山形県の人は絶対言わないなー』と。『だって天麩羅だって、蓮根とさつま芋ので、みそ汁の具も大根か何かだ。』『山海の珍味ってどこにも海の物は入っていないじゃん!』ってね。

 英国に来て以来の3ケ月間、KAZは、とにかく慎重に生活を続けた。英語は全然上達していない。相変わらず、神経を集中してのヒヤリング。相手が何を言っているのかを必死でくみ取り、聞き取れない場合でも「もう一度、お願いします」は何度も繰り返さない、答えは「Yes」か「No」か。余計なことは言わない。だって日本人は寡黙な人種なんだもんを決め込んでいた。ウイリアムの言っていることは100%理解出来る。何しろKAZに合わせてゆっくり話して呉れるから。家族から「お父さんの英語だんだん変になってるね!」といわれても、ちゃんとKAZに合わせてくれている。何と言ってもKAZがこの地で生きていくための最大の課題はそう『レズリーに嫌われない』ことだ。それが一番大事なミッションだったのだ。そうしている間、レズリーは、KAZが知らぬ間に、一人暮らしを始められるようにと、住める場所を探し、安心して快適に過ごせるようにと、内装やらなにやらと彼女の趣味でせっせと揃えてくれていたのだった。そして驚いたことにKAZが一人暮らしをするところは、想像していたものをはるかに超える豪邸であったのだ。

Jpg

ゲストハウス正面

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XXI

 日本と諸外国では、言葉だけではなくコミュニケーションの質や量でも違いがあるはずです。日本国内にしても関西と関東を比較しても大分違います。『関西のおばちゃんはよくしゃべる!』に疑問の余地はないのです。

 コンテクストという言葉を聞いたことがあるでしょうか?アメリカの社会学者エドワード・T・ホールは文化と言語において、世界には2つのコミュニケーション・パターンがあると説いています。
 ひとつは高コンテクスト文化で、人間関係や社会習慣など、言語メッセージ以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーションを指します。詳しく説明しなくてもお互いにわかりあえる、いわば「察しの文化」です。もうひとつは、低コンテクスト文化。こちらは言語が緻密性を持ち、言語以外のものに依存しない傾向が強いタイプのコミュニケーションのことです。何事も言葉にしないとわかりあえない「言葉の文化」といわれます。

そうなのです。日本という国は、間違いなく、高コンテクスト文化の国なのです。日本国民は、あれこれ細かくしゃべらなくても察する気持ちを持っているんです。口は禍の門、もの言えば唇寒し秋の風、沈黙は金、雄弁は銀、巧言令色鮮(すく)なし仁、なのです。そういった意味では、KAZは立派な日本人です。ましてや東北の代表です。父親が、なにげにお茶碗か急須に目を向ければ、母親はそれを察してすぐにお茶を入れて出す。誰も一言も発しなくても一連の動きになる。そういう家庭で育ったのですから。

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 KAZは英国滞在中に、英国人は日本人の倍はしゃべるな!と思ったそうでした。でもバーカー社に来たアメリカ人のバイヤーが英国人よりも4倍の量を話し、コミュニケーションを取っているのを見た時に、世の中には様々な人種がいて文化も違うことを知りました。

ある日、ウイリアムがアメリカ人を招いて、家で夕食を取ることになりました。家に招くということは、特別なお客様に対する最高のおもてなしになるのです。KAZも末席でご相伴することになりました。その日もレズリーは、腕によりを掛け、とても美味しい料理を提供してくれました。食事の後に、スイーツが運ばれ、コーヒーも飲み終えた頃に、そのアメリカから客人は次の一言を発しました。

「LESLEY!THE BEST MEAL I HAVE EVER HAD!」

(レズリー!今日の食事は私の人生で最高のものだったよ!)

KAZは一瞬耳を疑ったそうです。『確かにレズリーの作る料理はとても美味しい。』『でもアメリカさんよ!何もそこまで大げさに言わなくても。』『あんた何かい?今までろくなものを食べてこなかったってわけ?んなわけないでしょう!』と心の中で何度もツッコミを入れていたのだそうです。

さらに、『日本人はそこまで見え透いたお世辞は言わないわな!』『人生で最高!んなわけないわな?』『なんぼなんでもそこまでは無いわな!』と心の中で呟いていたのです。

『私はそこまでのお世辞はいいません。日本男児は美味しくいただいて、そうお皿に何も残さずいただきました。と、後はにっこりとほほ笑んで・・・と』社食(カンティーン)の食べ物はほとんど食べられず残しっ放しだったことなどすっかり忘れているのでした。

KAZは、この時まだ『レズリーに嫌われない作戦』がいずれ大失敗に終わることを知らなかったのです。

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XX

 KAZが食事以上に苦労したのが、コミュニケーションであった。英語が苦手だったのはもちろんだったが、コミュニケーションでの苦労とは、それ以前の問題である。

 今の若者は聞いたこともないと思うが、昭和世代なら『男は黙ってサッポロビール』は誰もが皆知っている名フレーズだ。かの日本を代表する俳優の三船敏郎のCMだ。当時サッポロビールに就職しようと面接に行った学生が、面接官の質問に一切答えず、ただ黙っていた。腹を立てた面接官が「なぜ黙っている!!」と問いただすと、その学生が一言。「男は黙ってサッポロビール」と答え、見事内定をもらったという、就活生の間では都市伝説にもなっているほどの名キャッチコピーである。何を言いたいのかというと、このコピーが、その時代を過ごした「男たち」に多大な影響を残したのではないか?ということなのだ。日本では、男は寡黙であるべきだという価値観がある。だからあまりしゃべらないかの名優・高倉建がかっこいいのだ。「沈黙は金」なのだ。

Sapporo

 日本では昔から、女性にへらへらと媚を売るような軟弱な男は、ナンパ野郎と言われ、男らしくないと嫌われているのだ。現代でもチャラ男と言われている軽い男は女性に嫌われる代表なのだ。祖父も父も寡黙だ。必要最小限なことしか言わない。「風呂!飯!寝る!」としか言わないのだ。ましてや奥さんにだって、「愛してる!」なんて言えるのは、生涯に3度ほど言えば多い方だ。言えば言うほどその言葉の価値が下がってしまうからだ。ましてや東北の山形からほとんど出たことのないKAZのDNAにはこのことが十分しみ込んでいる。かの有名な「どさ?」「湯さ!」(どこにいくの?お風呂入りに!)という会話より短い会話、「けっ!」「く」(食べて!食べる!)という会話が成立する地域なのだ!あまりの冬の寒さと雪の多さ故、なるべく口を開くたくないのだ。

 前章でKAZという男は情けない男といって、男であることを否定したが、この点はすっかり日本男児の代表なのだ。

そんなKAZは、社長一家と一緒に生活した3ケ月間、ウイリアムが仕事がひと段落して、家に帰る直前、毎日決まって奥さんであるレズリーに電話を掛ける。そして「これから帰るけど、何か買い物で買い忘れたものとかはない?ウン、ウン、そうか、卵とベーコンを買って帰ればいいのね?ウン。I love you! See you!」なんてやるもんだから、『あと15分もすれば会えるやろ!なんでそんなに簡単にI love you!って言えるん』って関西人でもないのに心の中でツッコミを入れていたんです。

 だから、『レズリーに嫌われない作戦』実行中のKAZではありましたが、そこまで多くの言葉を駆使してレズリーに気を使うウイリアムの態度は、日本男児としては、受け入れるわけにはいかず、KAZは寡黙ながらも『レズリーに嫌われない作戦』を実行し続けたのです。それは『どこまでも、お行儀よく、そしていつも明るく、にっこり戦術』です。

 でもこの戦術は後日トホホな結果に。

 そうです、またまた『Oh!poor KAZ!』の始まりです。

 

 

To be continued


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