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謹賀新年

さあ!新しい年2007年が始まりました。
今年もよろしくお願いします。
新年早々全くの私事で本当に申し訳ありませんが、
1月5日の朝、私の母方の祖母が93才で亡くなりました。
私はまったくのばあちゃん子で
13年前に亡くなった父方の祖母とも
二人にとてもかわいがってもらいました。
二人とも島田洋七さんの『がばいばあちゃん』にも
まけないすばらしいばあちゃんでした。
しかし、その両おばあちゃんへまったく恩返しが出来ないまま
二人とも亡くなってしまいました。
日々の生活に追われて、『本当に大切なことを忘れてしまっている』
そんな思いがします。
みなさんの中に、もしお世話になった方々、
特におじいちゃんやおばあちゃんが健在な方
後悔する前に『出来ること』でよいので
よろしくお願いいたします。

 拙(つたな)い文章で申し訳ないのですが、
葬式に48才の私が小学生にもどって鼻水垂らして読み上げた「お別れの言葉」
やるべきことをちゃんとやっておかないと
こんなことしか出来なくなるということを載せますので
お暇な方は読んでください。

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 ばあちゃん、十人の孫を代表してお別れのことばを捧げます。
 五日の朝、ばあちゃんが亡くなったと聞いた時、僕は悲しいというよりも悔しかった。
何故なら、ばあちゃんには孫の中でも一番世話になって
迷惑を賭け通しだったのに何もしてあげられなかった。
だから、情けなかったしすごく後悔しています。
せめて今、ばあちゃんとの思いでを思い出しながらお別れを言わせてください。
 昨日初めて聞いたんだけれど、ばあちゃんは六才の時に長井の梅津家から
今の原田家に養女に来て原田ちよになったんだね。
十七才の時に椿の伊藤家の伊藤与吉さんを婿にもらう。
与吉さんは原田国太郎を襲名。つまりじいちゃんだ。
二人の間には、お母さんの絹子、そして久仁子、洋子、昭子おばさん、
そして最後に待望の男の子邦彦君、都合一男四女をもうけた。
うちのお父さんとお母さんが見合いをした時、
「ばあちゃんが良い人だったがら結婚決めた」んだど。
お母さんが初孫の裕子ちゃんを小松の家で生んだ時は、
ばあちゃんはまだ四十才だったんだ。
その三年後に僕が生まれるんだけど、
逆子だったから病院での帝王切開で大変だったので
その間、裕子ちゃんはばあちゃんが面倒をみてた。
昼寝をすると夜中に起きだして、立ち上がって「歌を唄います」と
やるもんだから困ったという話しは何度も聞いた。
僕たち二人の後は、久仁子おばさんちのゆかりちゃん、かおりちゃん。
次に洋子おばさんちの浩晴君に厚子ちゃん。
昭子おばさんちの栄一君に和子ちゃん。
そして内孫の邦弘君に路子ちゃん。
孫十人全員がばあちゃんの深い愛情に育てられ、
それぞれみんながわがままを聞いてもらったと思う。
三十五年前に国太郎じいちゃんを亡くしたけれど
ばあちちゃん芯が強かったねえ。
朝早くから夜遅くまで家のことから店のことまで
一生懸命働いてたの良く覚えています。
 孫の中でもなんと言っても私が一番わがまま言ったと思います。
幼稚園の時から小松が好きで夏休みや冬休みはもちろん
年に数回は土曜日の夕方の汽車に乗って遊びに来てましたね。
宮内の明良じいちゃんには、「和義は小松の子か」と怒られるほど小松に来てました。
すききらいが多かった僕は、あれが食べられないこれが食べられないと
食事の時もわがままを言い通しだったけれど、
ばあちゃんは僕の為に、いつも大好物の茶わん蒸しを作ってくれた。
なす漬けも最高にうまかった。鍋焼きうどんもおしかったなぁ。
どれも忘れられない味です。
 夏祭りのおしっさまが大好きで太鼓の音が聞こえてくると
胸がわくわくしてきて、でも一人では恐いからばあちゃんが雑巾がけをしていると
背中に飛び乗って「こんなことしてないで早くおしっさま見につれてけ」ってせがんだこともあるって。
小学校も高学年になると獅子が出る時から入るまでずーと獅子についてまわって
あんまり帰ってこないんで心配かけてばあちゃん迎えにきたこともあった。
こんなこともあったっけ。僕が小学校の頃、裕子ちゃんがお母さんと喧嘩して
「もう絶対ゆるさね、家出する」って「どごさ行ぐな、小松が?おれも行ぐ」って
二人で自転車で小松まで家出して。
なんのことはない「んだが、泊まっていけ」って言う
ばあちゃんのやさしい顔見だら
二人ともけろっとして次の日の朝には帰ったりして。
 本当にばあちゃんにはみんな迷惑もかけだし、わがままいったと思う。
でもその中で一番わがまま言って困らせた僕も
ばあちゃんの「困った」顔はみたことがあっけど
「ごしゃいだ」顔はみだごとなかった。
いつもにこにこやさしい笑顔で僕らのわがままを聞いてくれた。
僕が結婚してひ孫の顔を見せに行くと、
ばあちゃんとゆっくりと話したかったんだけど、
なにやかにやとごちそうしたくて台所と行ったり来たりとするもんだから、
ぜんぜん話しも出来ないから、
かえって気の毒にになりあんまり行かなくなったんだけど、
ばあちゃんのことは気にかけてました。
せめて元気な内に僕も温泉にでも連れて行ければ良かったと
本当に後悔しています。
 せめてもの救いは、ばあちゃんが苦しまずに眠るように亡くなったこと。
 九十三才の大往生だったこと。
 最後までばあちゃんの面倒を見てくれた邦彦君、房子さん、内孫の邦弘君、路子ちゃん、ありがとう。
 ばあちゃんが産んだ一男四女
 そしてそれぞれの孫十人
 ひ孫十三人みんな元気です。
そしてばあちゃんの芯の強さとやさしさをみんな受け継いでいくとおもいます。

ばあちゃんお疲れさまでした。
天国でじいちやんと二人安らかにお休みください。
さようなら

平成十九年一月七日
孫代表 高橋和義
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祖先(ひと)の遺伝子は、受け継いでいるものと
受け継いでいくものとあるとしみじみ考えた年明けです。

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