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宮城興業の隠された歴史 第六話

当社創業者・高橋明良の物語を続けます。

 明良が考えたニュービジネスは、結果大きな成果をあげる事になる。初めは半信半疑だったお客たちも実際に現金買いであれば半値で買えること驚き、たちまち口コミでその噂が町中に広がった。売り上げはネズミ算式に伸びていった。問題は商品の調達であったが、売り上げで得た現金を上手く使って各地より格安で仕入れることも出来たのである。不況に突入していたその時代、薄利多売の術が消費者心理に見事にマッチした結果であった。こうして苦境にあえぎ一度は一家心中まで考えなければいけない状況から明良は何とか抜け出すことに成功した。そればかりか家族全員が遊んで暮らせるほどの利益も手に入れ、人間死ぬ気になって一所懸命に頑張ればなんとかなるものだという自信もてにいれたのだ。

 丁度そのころ、明良を一時養子として向かいいれ、巡査として東京で一緒いくらしていた叔父の孫太郎が、病床に就いていた。孫太郎は退職後、故郷の石巻にもどり猟師たちには必需品だったゴムクツを売る商売をはじめており、店を3軒も持つほど順調であった。孫太郎と明良は、東京での生活の中で、一度は反目し合う関係となっていたが、お互いを認め合うところもあったのであろう。性格も似ていたのかもしれない。子供のいなかった孫太郎が病床に明良を呼び寄せると、「どうもお前には商売の才があるらしい。私に代わってクツ屋の経営もいっさいみてくれないか?」と語った。これが叔父の遺言となった。昭和6年6月、資本金5万円で酒屋とクツ屋をいっしょにした有限会社「高彦商店」を設立した。このクツ屋の仕事を引き受けたのがきっかけとなり、後に靴製造に本格的に進出することになったのであった。

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高彦商店の前で

To be continued.


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