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宮城興業の隠された歴史 第十二話

 疎開先は山形県の宮内町漆山(現・山形県南陽市)の操業を停止していた製糸工場であった。

---余談になるが、この地区は明治から昭和初期にかけて製糸業が盛んで最盛期には17の製糸工場があり、3,400人にも及ぶ職工さんが働いていたという。製糸業といえば女工哀史を連想しがちであるが、この地区の女工さんたちは、技術力も高く給料もそれなりで女工哀史とは無縁だったといわれている。さらに余談だが、終業時間になるといっせいに工場から出てくる女工さん目当てに、近隣の若い男性が待ち構えていたということで一時は現在の原宿程度の賑わいを見せていたという。ここで生産されていた絹糸は羽前シルクという最高級ブランドで海外から多くのバイヤーも訪れていた。----

 この工場にすべての荷物を運びいれると、明良はさっそく23万5千円を投じて靴製造の為の準備に取り掛かった。大阪からはクギを作る機械、広島からミシンの針を作る機械、秋田からは鉄線を作る機械、さらには木型を作る機械や当時洋靴製造機と呼ばれているものなどをわずか1ケ月ほでで導入したのだった。従業員も第二弾・第三弾の仙台からの疎開組と地元での新採組とあわせて250人ほどになっていた。いよいよ山形での製靴作業が開始されるほこびとなったのである。

 ところが、それも束の間、たちまち軍靴を作ることは叶わなくなる。そのことを知らされたのは、昭和20年8月15日。日本はポツダム宣言を受け入れ無条件降伏に応じた旨の玉音放送がラジオから流れた。そこには、日の丸のはち巻を頭にしめて軍靴製造の準備に協力してくれた従業員とともにラジオの前に立ち尽くし、ただ涙を流す明良の姿があった。

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スーツと靴が白いモダンな姿の明良

To be continued.

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