« 宮城興業の隠された歴史 第十二話 | トップページ | 宮城興業の隠された歴史 番外編1 »

宮城興業の隠された歴史 第十三話

 敗戦で従業員も周囲の人も、それまでの努力がいっぺんに吹っ飛び、放心状態になっていた。気力が失せて従業員だけではなく重役のものまで、早々と仙台に帰るものもあらわれた。明良は『従業員といっしょになって悲しんでいてもはじまらない。こういうときの経営者の態度こそ社の運命を左右するものだ」とふんぜんと立ち上がった。早速仙台の陸軍被服課支所に出向き、現在自分が預かっている軍靴用の資材すべてを払い下げてくれるよう交渉した。4~5年は困らないだけの資材を格安の20数万円で買い取ることが出来た。

 しかし材料はあってもすでに軍靴は必要ではなかった。この時代まだ一般用の靴もそれほど普及しておらず需要も見込めなっか。引越しの際に多額の借金もあり、閉鎖することも出来なかったが、どんな靴を作ればよいか見当もつかなかった。そうこうしている間に日増しに退職希望者が出てほとんどが仙台にもどることになってしまった。わずかに残った人たちと明良は細々と靴作りを再開したのだった。

 まもなく山形にも米軍が進駐してきた。もし材料が見つかり没収されてはたまらんと警戒していたが、隣町の赤湯の米軍キャンプからやってきたアメリカ兵たちはスキーブーツはないか?落下傘部隊用のジャンピングシューズはないか?という要望だった。そんな靴はあろうはずもない。それどころか足のサイズがまったく違っていた。しかし、そこで明良は考えた。もしかしたら米軍用の靴の製造が出来るかもしれない?と。ただ仕事を続けられればという思いの明良だ、怖いもの知らずであった。早速仙台の米軍司令部に乗り込んで「赤湯のキャンプで靴がないといってきたが、ただでは接収されては困るが、代金を払ってくれるならいくらでも隊員にあう靴をつくりましょう」と交渉したのだ。

 司令部では、さっそく赤湯キャンプに電話をいれ『靴が必要なら、高橋さんと相談してつくれ」と連絡してくれたのであった。こうして明良は、赤湯キャンプだけでなく山形の東根市の神町キャンプにいる米軍兵の軍靴を製造することになったのである。

Save0011_2

手で靴の釣りこみをする職人たち

To be continued.

|

« 宮城興業の隠された歴史 第十二話 | トップページ | 宮城興業の隠された歴史 番外編1 »

社長のつれづれ独り言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/54943/66341423

この記事へのトラックバック一覧です: 宮城興業の隠された歴史 第十三話:

« 宮城興業の隠された歴史 第十二話 | トップページ | 宮城興業の隠された歴史 番外編1 »