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宮城興業の隠された歴史 第五話

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祖父明良と祖母はぎのの結婚式

当社創業者・高橋明良の物語を続けます。

 大正デモクラシー、第一次世界大戦中が日本にもたらした大戦景気も一段落すると絶好調だった日本の経済も徐々に翳りが出始めていた。一般の商店の売り上げも厳しい状況を迎えているころ、両親が営んでいた酒屋も明良が兵役に就いている間に父親の彦兵衛が急死し、継母が女手ひとりで店を切り盛りしている間に多くの客が離れ、売り上げが半減していた。明良が店を見るようになったあとも客がすぐに戻るわけでもなく、利益を得るために商品の値段を高くするなどの対策を打てば、ますます客が減っていくようになった。明良はこれを挽回しようと寝食を忘れて働いた。だが彼が無理に売ろうとすればするほど、その無理売りがたたって代金が回収できず焦げ付いてくる。終いには家族の食事にもことかく状況になり、食べ盛りの弟や妹たちは実にかわいそうなことになってきた。一番下の妹はまだ乳飲み子で空腹になれば遠慮なく泣きわめいた。この赤ん坊の泣き声は、明良の胸をしめつけた。このままでは一家心中するしかない。そんなことを考えなければいけないほど状況は切迫していた。しかし、そのことが、死んだ気持ちで一丁最後の賭けに出てみるか?という気持ちを呼び起こしたのである。その賭け(秘策)こそ第一話で紹介した『座っていて壱万円儲かる方法』であった。

当時の1万円といえば、清酒一升が1円50銭の時代である。清酒が実に6,660本分。何年かかっても飲みきれないほどの大金だ。誰もが注目した。掛売りが当たり前の時代に

現金購入のお客様には、

清酒1升を半額の75銭

味噌1貫目(3.75㌔)を半額の45銭

と店の商品を現金買いを条件にすべて半額でうるという暴挙にでたのだ。

当店で買い物を続ければ一家で数年後には大金の1万円が節約出来るというのが理屈である。

このキャッチコピーを題したチラシを地元の新聞に連日折り込んだ。と同時に仙台からチンドン屋20人を雇いカネやタイコで賑やかに触れ回った。明良の家族は、チンドン屋が来ると世間体が悪いといって家の中で息を潜めていた。同じ町の同業者は、あの若造は店がつぶれかかったのでとうとう気が触れたかと噂まであが飛びました。さてこの明良が考えたニュービジネス、時代的には早すぎると思われる酒のディスカウントストア。果して上手くいったのか?この続きはまた次回。

To be continued.

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