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宮城興業の隠された歴史 第八話

陸軍の靴製造は一定の規格があり、職人が思い思いに作ったものでは納入できなかった。そこで明良はまず石巻の手製業者らを集め「石巻皮革製品有限会社」を結成した。クツ屋のほうはすでに見込みがなかった為、軍靴製造に力を集中することとした。利益は少なかったが何とか生活することは出来た。そのころ仙台にも「宮城皮革製造有限会社」を結成する動きがあった。以前の酒の販売やクツ屋の経営をしていた実績が買われ、仙台に出てきてその会社を作ってくれという要請があったのである。明良は38歳であった。全国酒類販売組合副会長、県酒類問屋業組合常任理事、石巻酒類卸業組合長、石巻消防団長などの役職がり、そう簡単には引き受けられない事情があった。しかしアメリカとの戦争、つまり第二次世界大戦に突入まじかと思われた昭和16年になるともはや酒を売ることもままならなくなってきた。すべて配給制度になったのである。こうなれば酒店のほうは婦女子でも十分やっていける。明良は考えた。店のほうは家族にやらせて、この際仙台にでて自分はどこまでやれるか試してみようと。クツのことは叔父から受け継いだもので、クツ屋の経営をほんの少しかじった程度である。つまりズブの素人と同じであった。乗りかかった船だ、いちかばちかやってみようと、資本金5万円で「宮城工業(現在の興業と字が違う点については後日)株式会社」を設立した。いよいよ真珠湾攻撃で大戦の始まろうとしていた、昭和16年9月のことであった。

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戦争中の明良

To be continued.

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