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宮城興業の隠された歴史 第十六話

 前回、商工大臣より多額の融資が受けられたところまでお話ししたが、その時の話でこんな逸話が残っている。

-------第一回目の資金として,当時の八百万円が地元の銀行に送金されてきた。現在の30億円ほどの価値である。支店長が飛んできて「どうやら商工省で桁を間違えたらしい」といってきたそうだ。それだけの大金だたのである。-------

 多額の融資を受けたまでは順調だったが、肝心の工場のほうが一向に進まない。以前からあった工場を改造し、小さな重油ガマを使ってタイルを製造してみた。だがその結果は散々だった。どの製品にもひびがはいり、輸出どころか、使用に耐えられない物しか出来なかった。そこに商工省仙台支局から係官が調査にやってくる。明良は困った。タイル1枚出来上がっていないのに輸出実績などあるはずがない。「いま一千万円のプレスと七百万円のカマを発注している。到着次第に大量生産に入る計画だ」と説明してその場は逃れた。

 やはり、素人の悲しさであった。明良には製材業もタイル製造経営はの出来なかった。ただ残ったのは多大な赤字だけであった。運の悪いときはどこまでも悪がつきまとう。次には国税局の査察が入った。一千万円の脱税の疑いがあるというのだった。このころ明良は、まだ仙台にゴム会社、ホテル、出版社の3社の経営に首を突っ込んでいた。その全てが調べられた。しかし脱税はしておらず証拠も一切見つからなかった。だがこの件の影響で銀行からの信用を失い、仙台の3社の経営権をすべて譲らなければならなくなった。タイルのほうも依然うまく行かず、冶金課を卒業した次男に衛生陶器を作らせようと日本建材工業の看板を日陶興業に改めた。つまりタイルをあきらめ便器の製造をはじめたのである。白色の便器を製造しているのは東北ではめずらしかった。月産3,000個の生産量をあげたが、思っていたほどの需要がなくやむなく閉鎖となった。結局、丸裸になった明良。多額の借金と靴工場だけが残ったのだった。

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