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宮城興業の隠された歴史 第十四話

 本編に戻って明良の話を続けます。

 敗戦から1年ほどしたある日、明良は疎開先で間借りしていた製糸工場の経営者から「いつまで居座るつもりだ」と立ち退きを迫られた。賃借料も払っていなかったのであるから無理もないことだった。ちょうどそのころ近くの板金工場が売りにだされていた。約1、650平方㍍の工場である。さっそく五ケ月払いの百万円で売買契約を結び、工場の整備にとりかかった。この工場が現在の場所である。

Photo

移転先の当時の写真

現工場の面影そのまま

 結局、米軍からの軍靴の注文はごく僅かであった。しかたなく今度はズッククツの製造を始めることにした。いわゆる布製の靴である。ズッククツは山形県の雑貨組合の支部を通じて売りさばいていた。工場の買収金はこの利益で支払っていった。

 山形の冬は長く、三月になってもまだうず高く雪が積もっている。この雪の多さに辟易してわずかに残っていた従業員たちも、会社をやめて郷里の仙台に帰りたいと言い出した。引越しのときから協力を惜しまなかった人たちだった。しかし退職金をやるのにも金がない。そこで陸軍支局から服や地下足袋、長グツ、帽子、毛糸などを調達してもらいそれを退職金代わりとして支給することとした。とくに毛糸は一人に9㌔もあった。

 一難去って、また一難。明良の会社に残ったものは、十人足らずの身内のものだけであった。明良はまた再起をはかるため、あらためて従業員を地元から採用しなおした。当分の間は生産量を抑え、従業員の給料を払えるだけ十分と、一から靴作りの教育をはじめた。日本は、数年もすれば落ち着きを取り戻し、革靴の需要が今の10倍か20倍になる日が来ると考え、それまでに調達していた資材をもたせようと考えたのであった。

 その間余裕が出てきた明良は、元町長や製材業を営む人との知己をえて新たな事業に乗り出すことになった。終戦からちょうど1年が過ぎた昭和21年8月、資本金50万円で「日本建材工業株式会社」を組織したのだった。

To be continued.

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