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2018年12月

2018年仕事納め&ごあいさつ

 本日は、今年1年の締めくくり、仕事納めの日です。
日頃より、当社製品をご愛顧いただいている皆様、そしてまだ当社製品は一度も買ったことがないが、いつか購入しようと興味深々、時々当社HPをチェックされている皆様、そしてさらにさらに私の拙いブログを愛読していただいている数少ない皆様、本年も大変ありがとうございました。加えて、まもなく訪れる1919年・平成31年・まだ分からない新元号元年が皆様にとってすばらしい年になりますことを心よりお祈りいたします。
 さて、今年の当社にとって良いニュースをまず振り返ります。
今年は、海外戦略元年と位置付け、1月よりパリの個展に出展しました。東京のワールド・フットウエア・ギャラリーの深田社長の声掛けで、JSEP(ジェーセップ)という組織を立ち上げました。日本の靴も負けていられない!輸出するぞーという意気込みです。このパリでの個展をはじめ、ロンドンのトランクショーやミラノで開かれるミカムという靴の展示会にも出展しました。お陰様で、当社自慢の既成靴であります「ミヤギコウギョウ」ブランドの靴が、初めてヨーロッパで発売することが出来たのです。ヨーロッパのどこでしょう?なんとノルウェーです。「え?ノルウェーって北欧で雪国でしょ!革靴履く期間ってあるの?」という声が聞こえてきます。ハイ、実は私もそう思っておりました。しかし、現実はちがいますよー。皆さん「ボーと生きていては駄目ですよー!」ノルウェーの一人当たりの所得は世界でもトップクラス。そうお金持ちの国なんです。そして靴好きの人も多いんだそうです。ということでバンザーイ!
カスタムオーダーで、すでに6ヶ国の国に輸出をしておりますが、ヨーロッパは初めてなので、とてもうれしいです。来年2月には、日本とEUの経済連携協定がいよいよ発効され、今後10年かけて関税がゼロになります。てなわけで日本の靴業界は大変になります。輸出力をつけてこそ生き残れる会社になる。その意気込みで来年も臨みます。
 一方、日本の市場は相変わらず絶不調です。また売り上げを落としてしまいました。こちらはあまり良いニュースでないのでここまでとします。
 最後に、この12月に一気に33話にもなる私の英国滞在記をアップしました。バンザーイ。読者が少ないことは初めから予測していたので落ち込んでなどいません。なので年明けから早速、帰国編をまたまたアップします。バンザーイ。
締めくくりは、まじめに
よいお年をお迎えできますように!

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KAZの靴の聖地・漂流記XXXIII

この滞在記も綴り続けているうちに33話目になってしまいました。ごく一部の人しか読んでいただけていないのは合点承知の助ではありますが。そんなことで今回を持って最終話とさせていただきます。

198610月となり、いよいよKAZの帰国の時となった。つらく厳しい1年間だったがそれ以上に収穫の多い1年間でもあった。到着4日目に逃げ帰ろうとしたことも、半年後には極度のホームシックにもなり軽度のノイローゼにもなった。でもそれを乗り越えた今になれば、それも良い経験だった。

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バーカー社内のすべての人たちに感謝とお別れの挨拶をし、記念写真などを取り、またお別れと激励のメッセージなどをもらった後、いよいよ本当の別れの時が来た。KAZが長い間お世話になったゲストハウスの前で送別の時が訪れたのだ。

ウイリアムが毎日飲んでいるベルのウイスキーを持参してきた。KAZのコップにそのウイスキーがなみなみと注がれた。KAZの瞳には、すでに涙が浮かんでいた。ウイリアムも貰い泣きしたのか目は真っ赤になっていた。集まってくれた仲間は一同に言葉が少なかった。もしかすると、「poor KAZ」(かわいそうなカズ)がいつ逃げ帰るのかと心配していた仲間が、よく1年間持ってくれたとの感慨に耽っていたのかもしれない。

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空港まで送ってくれるロールスロイスがいよいよKAZを乗せて走り出す瞬間となった。仲間たちが口々に「負けずに頑張れよ!」「元気でな!」「また会おう」と声を掛けてくれた。KAZは言葉を発することが出来ず夢中で手を振込り続けた。

 


KAZは、このあと空港までの1時間、声を出して泣き続けた。

人生であれだけ泣いたことはないという。

涙が1リットル以上流れたともいう。

無我夢中の時もあった。辛かった時もあった。

望郷のあまり英国を恨んだときもあった。

しかし、代えがたい経験をした。

日本にいるだけでは決して出来なかった経験だった。

それらすべての経験がKAZを鍛えてくれた。そして少しだけ大人にしてくれた。

 

英国よ、ありがとう!靴の聖地ノーサンプトンよ、ありがとう!

ウイリアム、レズリー本当にありがとうございました。

バーカー社の皆さん、お世話になりました。

空港についても、目をはらしたまま、言葉も発せられずにいたKAZ。

1年前に空港まで迎えに来てくれて、今回の帰国の際に運転をかってくれたフレッドはそんなKAZを静かに見守り、見送ってくれたという。

KAZの靴の聖地・漂流記 了


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KAZの靴の聖地・漂流記XXXII

 KAZは英国滞在中、社内だけの研修に限らず様々な経験を積む機会に恵まれた。ウイリアムに同行しドイツのピリマゼンスで行われる製靴機械の見本市、イタリアでは、フィレンツの市場調査とミラノで開かれる靴の見本市、またボロ―ニアで開かれていた靴の素材の見本市などであった。英国国内の見本市ではノーサンプトンの靴メーカーが一同に会し、クロケット&ジョーンズの先代ジョーンズ社長に紹介してもらったのはいいが、靴を眺めていたら、『こらこら、日本人!うちのデザインを盗むんじゃないぞ!』と言われたこともあった。

 その他、どこのメーカーも使っているラスト(靴型)メーカーであるモブスミラーには2日間通い、今は廃業してしまったが、当時バーカー社が主力で使っていた革のタンナーであるペボディ社では3日ほど研修させてもらった。ここで作られていた革は上質でノーサンプトンのメーカーはもちろんアメリカのグッドイヤーの靴を得意としているメーカーでも使われていた。革が出来上がるまでの期間が2ヶ月以上もかかることにも驚かされた。鞣したあとの乾燥では、いったん木屑の中でゆっくり休ませるといった手間を惜しまない昔ながらの製法を守り続けていたのだ。残念なことは、近年このように上質な革を作る所が、次々に経営が成り立たなくなり倒産や廃業に追い込まれているという現実だとKAZは嘆く。

 英国には問屋業は存在しないと思っていたのだが、実は巨大な問屋が存在していた。その名はブリティッシュ・シュー・コーポレーション。ここの倉庫に連れて行かれた時にはKAZは度肝を抜かれた。なんと商品を運ぶコンベアーの長さが30km、コンピューターで伝票の管理をする人が300人もいるのだ。1週間で200万足の靴を出荷しているという。国内はもちろん世界中から靴を買い付け英国国内の3分の1にあたる店舗に納めているという。まさに物流を効率化して成り立っているところだった。

 靴好きなら誰でも知っているクラークス社でも3日間研修させていただいた。この会社は、『靴の王様』と言われた創業者バータ氏率いるバータ(BaTa)社と規模的には世界で一二を争う大企業だ。こんな逸話をご存じだろうか?昔この2社の営業マンがそれぞれアフリカの市場を調査する目的で現地を訪れた。一方の営業マンは「駄目です。未開の地でまったく市場にはなりません」と報告、もう一方は「すごい市場です。だって誰一人、まだ靴を履いていないんですから!」と報告したと。KAZの予想では、前者がクラークス社で後者がバータ社だと言う。その後、バータ社の方は、アフリカの奥地にビーチサンダルの工場を立ち上げているそうだ。

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クラークスの量産工場

 

このクラークス社では、KAZはこんな経験をしている。案内をしてくれた担当者が、

「あなたの所ではどんな靴を作っているんですか?」と質問してきた。

「グッドイヤー製法がメインです」とKAZ。すると

「グッドイヤー?グッドイヤー?どこかで聞いたことがあるなー」と考えこむ担当者。

こいつグッドイヤー製法も知らないド素人なの?とKAZが訝しんでいると

「あっ、分かった!当社の博物館に展示してあるあの機械のことか?!」と。

どうやらこのクラークス社の担当者のあれだけ手間のかかるグッドイヤー製法で、今でも作っているんですか?と茶化すつもりの子芝居だったようだ。その後、KAZが見学させてもらった工場も自動化出来るところはすべて自動化され1日で五千足を生産出来るハイテク工場だった。

 

 ちなみにクラークス社は、革靴に限らず、それこそビーチサンダルやゴム長靴も作っており、革靴メーカーという認識よりも履物全般を製造している企業と捉えた方が正しい。日本で言うと九州の久留米にある㈱ムーンスターやアサヒシューズ㈱のような会社である。人間の手を一切掛けなくても機械だけで出来る靴の開発に本気で取り組んでいたりする。手作りをバカにされたのでムッと来て「絶対負けないぞ!」と思ったのですが、反面参考になる考えだとも思ったのでした。事実、この10年後にクラークス社のネイチャーシリーズにインスパイアされて開発したのが、当社の代表的商品STリラックスになるのです。この開発秘話についてはまた後日。

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XXXI

 すっかり立ち直ったKAZ。英国滞在も残すところあと3ヶ月あまりだ。かつてのホームシックが嘘のように日本のことなどすっかり忘れ、本当の意味で英国滞在を心から楽しめたのは、この残りの3ヶ月だったとKAZは言う。

短い休みを利用し、ロジャーと一緒に旅行にも出かけた。有名な湖水地方を巡った。たくさんの湖を見て回り、二人でどの湖が一番きれいだったか?を言い合い、たまたま同じ意見だったので、地元の人にそう話したところ『あーあれは、唯一の人造湖だ!』と言われ、二人で顔を見合わせた。

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ロジャーと英国観光では有名な湖水地方を旅した

平日は、もちろん靴作りに励んだ。様々な製法やデザインに挑戦し手応えを感じることが出来た。週末になるゴルフのプレーを楽しみ、あれだけ調子の悪かったのも少しずつではあるが戻ってきた。実は、近くのコースでラウンドをするうちに見ず知らずの2人のプレイヤーがKAZを誘い、毎週一緒にプレーをしてくれていたのだ。年齢はKAZよりも45歳上の彼らは、KAZがどんだけ下手でも、バカにするわけでも笑うわけでもなく、かといってアドバイスをくれるわけでもなく淡々とプレーを続けていた。ある日、KAZは英国に来て初めて90を切ることが出来た。もちろんあのアンティーククラブを使っていた。

ラウンドが終わってKAZがスコアを付けながら一人ニンマリしていると、二人が声を掛けてきた。

「KAZ!今日はいいラウンドだったね!」

KAZは、二人が自分をちゃんと見守ってくれていたことが本当にうれしかった。そんな感じで少し調子が上向いてきた時、せっかくゴルフの本場に来てるのだから今しかないとゴルフ発祥の地、スコットランドのセントアンドリュースに行くことにした。さすがにボロ車では無理と判断し、レンタカーを借り片道900Kの道程を9時間で走りぬいた。運転しながら目の前にあのテレビで何度か目にしたコースの景色が現れた時の感動は今でも忘れられない。早速、マスター室に向かいラウンドしたいと申し出ると

「残念だけど今週は地元のコンペが入っているから無理だね!」とすげなく断れた。がっかりしてと帰ろうとしていると再び、

「ちょっとまった、4時過ぎのスタートなら大丈夫だ」と言ってくれた。その日は、近くのB&Bに宿を取ったが、興奮して眠れなかった。次の日、午前中は近くのニューコースをたまたま居合わせた貿易関係の二人と一緒に回った。そしてついに4時に念願のオールドコースの1番ホールに立った。地元の大工さんとアメリカから来ていたハンバーガー屋さんとのラウンドになった。アウト9ホールを回り終えると地元の大工さんは「じゃあな!」と言って帰ってしまった。残されたKAZとハンバーガー屋は途方に暮れていた。残り9ホールどこに打てば良いかも分からなかったからだ。何とか15番ホールまで回った時に日が完全に沈み、ボールが全く見えなくなった。ハンバーガー屋が

「もう無理だね!」というので、二人はカートを引きながらとぼとぼ歩きだした。なのであの有名なホテルを超えて打たなければならない世界で一番難しいパー4と言われている17番ホールはプレー出来なかった。二人で

「ここだよね」と言いながら、一歩ずつ大地を噛みしめるように歩いた。

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セントアンドリュースを回った際のスコア

 そんな人生においても自慢出来る思い出を作ることが出来たのも残りの3ヶ月だったと言う。 

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記XXX

親友にも英国の田舎の生活を満喫してもらおうと普段通りではるが、パブに行ったり、ゴルフをしたりしたあと、友人が飛行機で知り合った神戸の女の娘二人を誘ってビートルズの故郷リヴァプールを訪ねることにした。リヴァプールは昔から港湾都市として栄え、ビートルズ関連の施設もあることから観光で訪れる人も多いはずなのだが、その当時は、やはり英国病の影響で街にはゴミが散乱したりしてちょっとがっかりだった。
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神戸から来ていた二人

 

早速、観光案内所で見どころを聞いていたKAZだが、

「アビイロードはどの辺?」と聞いて

「はあ、それはロンドンですけど!」と言われたという小ネタも紹介しておこう。

とにかくKAZはかなり元気を取り戻していた。もちろん親友が救助に来てくれていたのが大きかった。ギリシャで太陽の光を浴びた影響もあった。折角英国に滞在していたというのにロンドンの観光もしていなかったのに気づきその役目をパットがやってくれた。そして神戸からやってきた女の娘たちのまるで漫才を聞いているかのようで、『ボケとツッコミ』の役割があり、ちゃんと話に落ちもある、軽妙な会話にも癒されたのである。同じ日本人でもコミュニケーション能力の高さを感じ、若い女の娘たちがでも、異国にいても何にも怯むことなく、たくましく生きている姿を見たときに、自分が悩みを抱え続けていることがなんとちっぽけなことなんだろうと恥ずかしくなっていたのだ。

KAZを救援にやってきた親友が、日本に帰る日がやってきた。空港の出発ロビーで親友が聞いてきた。

「もう大丈夫だろう?」

「ああ!」KAZはそう答えた。

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アビイロードはなかったがペニーレインはあった


 

 あれだけ悩み、ホームシックが過度になり、自分ではノイローゼの初期症状で軽い鬱を患っていると判断していたKAZだが、親友と過ごした数週間ですっかり回復してしまった。そんなことだからノイローゼも本人が思っているほど重症ではなかったということだろう。

 でもあれから30年以上も経った今のKAZなら分かっているはずだ。何故、精神的に立ち直れたかを。もちろん親友の助けが大きかった。だが決定的だったのは、親友と過ごしている間に『なんで日本に帰って親父の会社で働く』ってことが分かったんだよ。祖父から言われたからでもなく、父から言われたからでもない。ましてや子供の頃に職人から頼まれたかでもない。あの時に自分で決めたんだよ!自分の意志で。これからどんな困難が待ち受けていようと、靴を作り続けて行こうと。祖父が興し、父が守っている会社を自分も引き継ぎ、その伝統をまもり、次の世代に繋げていくと。

 KAZに覆いかぶさっていた殻の極薄~い皮が剝けて、若干ではあるが腹が座り始めたのは、この時の経験があったからこそというべきだろう!

To be continued

 

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KAZの靴の聖地・漂流記XXⅨ

しかし(しかしの使い方がおかしいかもしれない?)、友達ってなんて有難いものでしょう!なんとその友だち、助けにやってきたのでした。KAZの救援要請に応えて。わざわざ日本から。それもKAZと同じ南回りで25時間かけて。それも自費で。こう言う人を親友と言わずなんて呼べばいいんですか?

『真の親友です。

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助けにきた親友

 このKAZを救助にきた親友、ただものではなかった。KAZが空港までに迎えにいくと、なんともう一人も彼をまっていたのだ。それがなんとなんと黒人の女性だったのだ。それだけでは、終わらないその親友、なんとなんとなんと若い二人の女性まで従えていたのだった。なので親友がわざわざ日本から自分を救助の為にやってくる真の親友を喜び勇んで迎えに行った空港のロビーで、またまた困惑する事態に陥ったのだった。

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 まず、黒人の女性について説明します。名前はパット。ジャマイカからの移民です。ホイットニーヒューストン似の美人です。なんでKAZの親友と知り合いかって?なんでも数年前に親友が、かの猪苗代湖でウインドサーフィンに興じている際、浜辺で日光浴をしている彼女をナンパ。それ以来の付き合い。何故彼女が、日本に行っていたかというと、彼女は、かの有名な『ホテル聚楽』でダンサーとして働いていたんだとか。

 次に二人の若い女性。彼女たちは神戸の娘たちで美容師の卵。今では超有名となったかのヴィダルサスーンの美容学校に短期留学が目的だった。親友とは、日本から25時間ずーっと隣り合わせの席ですっかり意気投合し、ロンドンは初めてだろうから、迎えにきている友人(KAZのこと)に案内させるとか調子のいいことを言ってお近づきになったのである。

 

 パットは、予想外の二人の日本娘に怪訝な顔をしていたが、親友とのハグの後、この親友はかなり世渡り上手なので、日を変えてロンドンで落ち合おうなどと調子のいいことを言って追い返してしまった。てなわけで若い方の神戸娘をちゃんと不慣れなロンドンの下宿先まで送り届け、恩を売ることも忘れず、ここでも世渡り術を示した。

 KAZは兎に角嬉しかった。極度のホームシックにかかっており、久々に日本語で話せるだけでもワクワクしていた。友人が来るからと、会社には早めの夏休みの許可をもらい、すでに予約していたギリシャへの旅行に次の日には旅立ったのだ。ギリシャは、マラソンの語源である、アテネから40kmほどのところにあるマラトンに宿をとった。ホテルの目の前にはエーゲ海。英国のよどんだ空気とは違い、真っ青な空と海が二人を出迎えていた。ビーチのあちこちにブラをはずした、美しい女性が日光浴。二人はそれらの景色を眺めながら『エーゲ海はえーげ!』などとつまらないギャグを言っては笑いあっていた。

 

 ギリシャから戻るとすぐにパットに連絡をとり、会うことになった。彼女が主催しているダンス教室を覗くと10人ばかりが汗を流していた。その日からパットの家に宿泊させてもらうことになった。彼女には、まだ出来ていないロンドン観光の案内をしてもらい十分に楽しんだ。彼女は美貌だけではなく、抜群にやさしい性格も有していた。口数は少ない。わざわざ水筒に粉ジュースを溶いて持っていくようなしっかり屋さんでもあった。KAZは、彼女に古き良き時代の日本の女性らしさを感じていた。

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パットの家には3泊させてもらった。彼女はKAZと親友には居間に寝袋を用意してくれた。毎晩「おやすみ!」を言うときに、パットは親友のほっぺにチューをした。KAZにそれはなかった。2泊目、3泊目になるとだんだんチューの位置が親友の唇に近づいてきた。KAZはそれを見逃さなかった。。KAZは、寝袋の中から隣の親友をこずいた。

「俺に遠慮はいらん。行ってきたまえ!」

親友は、寝たふりをしていた。結局何も起こらなかった。

次に日、パットにお礼を言い、さよならをした。

ロンドンからゲストハウスに戻る列車の中で親友は話し出した。

「パットが帰る前に一度、私のダンスを見て欲しいってたのまれてさ」

「うん」

「友達数人でホテル聚楽まで行ったんだよ!」

「うん」

「パットのダンスは抜群でさ、真ん中で踊ってんのよ!」

「うん」

「でもな、最後のダンスがな、・・・」

「うん」

「ヌードだったんだよ!」

またまたKAZは、その言葉に返すべき答えを見つることが出来なかった。

 

KAZは、今でも時々、『ロンドンで優しくしてくれたパット』との夢を見るという。

To be continued



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KAZの靴の聖地・漂流記XXVIII

英国滞在から7ヶ月、KAZは死んでいた。もちろん肉体的には生きている。精神的に終わっていたということだ。ロジャーからの予想もしなかった質問。それを考えても来なかった自分。ホームシックになっているところに次々に襲ってくる現実。結論から言えば、KAZは27歳にしてあまりにも子供だったのだ。精神的にも打たれ弱い甘ちゃんだったのだ。

 

思い出してみると、KAZの遊び場は工場だった。子供のころ工場中を走り回っていた。だれも邪魔だとかは言わない。時々、ベテランの職人に捕まって、頭を撫でられながら『おい豆社長!将来頼むぞ!』と声を掛けられることはあった。祖父にしろ父にしろKAZが跡取りと決めていた。だれもそのことに疑念を挟むわけではなく、ごくごく自然のことだった。

 

だけど、KAZはどうだったんだ?自分で決めたのか?考えたことがあるのか?

 

世界中どこでも靴は作っている。だから必ずしも日本に帰らなければということはない。さらに地元でなくても靴はどこでだって作れる。それ以前になんで靴なんだ?靴作りを自分の仕事といつ決めたんだ。仕事なんかいくらでもあるじゃないか?お前は音楽が好きで一時はそればっかりにのめり込んでたじゃないか?ミュージシャンになれば良かったんじゃないか?ゴルファーはどうだ?ん、ゴルフはダメか?今調子が悪いのは決してお前のせいじゃない。クラブが悪いんだ。なあ、そうだろう?ゴルファーを目指そうじゃないか?他はどうだ?・・・

 

KAZは、無断で会社を休んでいた。軽いノイローゼになっていることは分かっていた。さらに悪いことに子供のころから付き合っている痔まで悪化していた。肛門に大きなイボが出来ていた。

 

ウイリアムが心配してやって来た。

「どうした?KAZ。大丈夫か?」

KAZは辞書で痔を英語でなんて言うのか調べて、それを話した。

ウイリアムは、気の毒そうな顔を浮かべて

「疲れが出たんだろ?ゆっくり休みなさい」といって帰っていった。

 

KAZは、ベットに横になってはいるものの痔の痛みもあり眠りは浅い。そして一旦目が覚めるといろいろなことを考え、眠れない日々が続いた。『限界だ』と思っていた。すべてに耐えられなかった。

 

1週間休み、痔の痛みが引いた時、手紙を書いた。日本にいる友人宛てだった。単なる友人ではない。長い付き合いで、バンドも組んでいた。毎週毎週、飽きず演奏した仲だ。喧嘩もしたし夜通し酒も飲んだ。どんな相談も出来る数少ない所謂『マブダチ』だ。

手紙にはこう書いてあった。

『お願いだから、助けてほしい』と。
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50歳を過ぎてからこの友人と再度バンドを結成した。

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記XXVII

 スイスでのスキー旅行から帰ったKAZは、靴作りの修業に一心不乱に打ち込んでいた。残された時間にここで吸収出来る物はすべて吸収してやるという覚悟だった。宮城興業では、やっていない製法の靴も次々に挑戦していった。パターンに対する考え方もKAZが高校生の時の夏休みを利用して学んだ日本式の物とは違っていた。だから何故違うのかも徹底的に検証した。英国式は、ラスト(靴型)のインサイドとアウトサイドをまるで違う形で表現する。なのでパターンは極めて複雑だった
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KAZが初めて自分で作った靴

 英国の緯度は北海道並みに高い。さらに夏の季節はサマータイムが導入されるので、完全に日が沈むのがだんだん遅くなる。一番日が長い時にもなると9時ぐらいまで明るいのだ。そんな季節にロジャーはテニスをしようと誘ってきた。工場の裏手に公共のテニスコートがあった。使用料もうそのように安かった。軽くボールを打ち合ってから、シングルスのゲームをした。勝負はだいたい互角だった。KAZの方が、サーブにしろストロークにしろ強い球を打っていたが、ロジャーは、柔らかく正確に返すタイプのプレイヤーだった。ゲームが終わるといつものように、ゲストハウスでTVを見ながらの世間話の時間だ。そんな平凡な毎日を送っていた。

 

その日は、KAZは機嫌が悪かった。ロジャーにゲームで負けたのもあった。それにロジャーは、KAZが深いストロークを打った後、ボレーを決めようとネットにつめると必ずというほど、ロブを返してくる。その姑息なプレーぶりにも腹が立っていた。でもそれだけではなかった。毎日のように日本のことを考えていた。ずーっとホームシックのままだったのだ。何故そんな気持ちになったのか?今になってみるとKAZは分かるのだ。あまりにも子供だったのだ。英国に1年滞在することは、彼の長年の夢だった。英国に1年滞在すれば、その後の人生がバラ色に輝く人生になると夢見ていたのだ。それが子供っぽい単なる夢だったことに気が付いた。だからそんなことを深く考えもしないでのこのこ英国にやってきた自分に腹を立てていた。

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右がキュートなトレイシー


ロジャーは、いつもと変わらず、独り言のようにしゃべり続けている。

「やっぱり、フランシスはかわいいな!」

「でもやっぱりトレイシーは普通だ、うん普通だな!」

いつもなら「NO!」とだ返すKAZだったがこの日は違っていた。

「黙れ!」と言い返した。

いつもと雰囲気が違うのを察してもロジャーは続けた。

「どうした?今日はいつもと違って機嫌が悪いな!」

「ていうか、ここんところずーっとご機嫌斜めですね!」

「ところでさKAZ!今後君は何をしたいわけ?」

 

「10月には日本に帰るよ」とKAZ

「日本に帰って何をするのかってことよ?」とロジャー

 

「ん、日本帰って、親父の会社で働くよ!」と憮然としてKAZは答えた。

すると間を置かずロジャーはたたみかけた。

「なんで?なんで?」「靴なんて世界中どこでも作っているんだぜ!」

「なんで日本に帰るって決めてるの?」

「ここでも作れるし、俺のように南アフリカでもニュージーランドでも!」

KAZは、たまらず叫んだ。

「もう十分だ、黙れ!」

 

ロジャーの矢継ぎ早の質問にKAZはそう応えたきり黙りこんでしまった。

いままで、人生の中で一度も考えたことのない質問さだった。だから答えようもない。

そして明確に答えられない自分がいることに気付き戸惑っていた。

 

To be continued



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KAZの靴の聖地・漂流記XXVI

 KAZの生活は、当初3ヶ月は無我夢中。それこそ到着4日目で逃げ帰ろうと思っていたのでしたが、何とかウイリアムの助けでそれも回避できました。一人暮らしを手に入れてからは、多少余裕も出来て、やっと英国滞在を満喫出来るはずだった。そのはずだったが・・・。

 海外で生活するようになった人たちは、果たして滞在何日目にホームシックという気持ちを知るのだろう?KAZにそれは突然襲ってきたのだ。滞在から6ヶ月が過ぎようとした頃だった。残り半分の折り返し地点まで来たのだから、残り半分、何とか出来るはずだが、何故かKAZは、日々日本のことを考えるようになってしまった。おそらく目標にしていた英会話の上達やゴルフの腕を磨くという3つの夢の2つが散々な結果(いやいやまだ経過ですよ)になっていることに相当ショックを受けていたからかもしれない。そしてまだまだKAZを悩ませる事が起きるのだった。

 

 4月の終わりごろ、KAZはウイリアム一家とスイスのポントレジーナという高級リゾート地にスキー旅行に出かけた。標高は1800メートルで冬季オリンピックが開かれたサンモーリッツの隣村でもあります。山形生まれのKAZですから、スキーは得意です。なのでその旅行を楽しんだには楽しいだのだでしたが、でもその旅行中に問題が起こったのでした。まず滞在2日目に持ち金を盗まれるという事件がおこりました。20万円以上の現金です。多分犯人は、部屋を掃除している女性。でもKAZは公にはしませんでした。不用心で現金の入った封筒をただ着替えを入れているバッグに忍ばせていたことは自分の責任と考えたことと、ウイリアム一家に余計な心配をさせたくなかったからです。滞在費はウイリアムが一旦払ってくれるはずで、帰国後の精算になるのでその心配はありませんでした。なので『買い物とかを我慢すればいいだけだ』と考えたのでした。

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問題は、ただそれだけではなかったのです。そこでのスキーは時間を贅沢に使い日本のそれのように折角きたからには、一日で何本滑れるか!というのとは程遠いものでした。ゴンドラでいっきに富士山より標高の高いところまで行き、1時間ほどかけて町のある麓まで滑ってくるのでした。一本滑っては昼食、一本滑ってはコーヒータイム、もう一本滑ったら、ホテルに戻って午睡という時間の使い方です。周りの人のスキーウエアもスポーツブランドのウエアは見当たらず、高級メゾンのブルゾンのようなウエアや毛皮を身にまとっている人までいます。歩くスキーを楽しむ人もたくさんいましたし、天気のいい日には、半日日光浴をする人までいました。

そんな中事件は起きました。前の晩、遅い時間のディナーを食べ、深夜までディスコで時間を過ごしたKAZは翌朝、朝食の時間には起きられなかったのです。目覚めたのは10時をとうに回った頃だったでしょうか?気が付いてみるとウイリアム一家の誰も部屋にはいない。

『もしかしたらすでに皆でゲレンデに行ってしまったのか?』

『そんなはずはない。もしかすると皆も遅い朝食?』とKAZはウイリアムたちを探しにホテルの中を駆け回っていました。すると普段はあまり使われていないホールからなにやら大勢の声が聞こえます。KAZはそのホールの大きなドアを開けてみました。

 そこには宿泊客が100人程おり、ビンゴゲームに興じていました。

KAZの開けたドアは、ちょうど舞台になっているところの司会者が立っているところだった。

会場の100人の視線が一斉にKAZに注がれた。司会者がマイクを通じてこうアナウンスしました。

「おやおや、こちらの紳士どうやら道に迷われたようですね?」

その時一人の男の声が会場に響いた。

「そのジャップは、私の連れだ!」ウイリアムの声だった。

ジャップという言葉に会場中から嘲笑が起こった。

普段は英語を理解するまで、時間を要するKAZだったが、その言葉が日本人を指していることはすぐに理解できた。KAZの顔はみるみる恥ずかしさで真っ赤になった。たまらず、すぐにその会場を飛び出し。ホテルの一角にある、バーに逃げ込んだ。

 

そこではタキシードを着た一人の男がピアノの練習をしていた。

「コーヒーが飲みたいのですが?」とKAZが言うと、カウンターでグラスを磨いていた女性が

「どうぞ!」と促した。

出されたコーヒーを飲みながら、KAZはじっとピアノの音色に耳を傾けていた。ウイリアムは、長い期間じっと隠していた心の声を思わず発してしまい、KAZは実際に耳にしてしまった。落ち込むのも当然のことだった。ピアノの男が声を掛けてきた。

「あなたはどこから?」

「日本です」とKAZ。

「私は、オーストリア。そして彼女はスエーデンから!」とカウンターの中の女性を顎で指した。

ピアノの男は、続けた。

「私たち二人は出稼ぎさ!でももう少しでシーズンも終わる」

「シーズンが終わったらそれぞれの国に帰る」

「こうして違う国の3人が出会えるのもここスイスの高級リゾートだからさ!」

 

KAZは、その男の言葉を聞きながら今の自分が置かれている境遇を考えていたのだ。

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XXV

英会話も駄目、ゴルフも駄目なKAZでしたが、靴作りの修業だけは、順調だったようです。工程を期間ごとにこなして学ぶOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を行いながら、週ごとに次の工程に移動して、工場のすべてのセクションの仕事は、取り敢えずこなしきったのです。その後、不十分と感じたところも補習という形で廻ったあと、ウイリアムに頼んで、徹底的に英国式のパターン作りを学びたいと申し入れ、帰国するまでは、パターン室の配属となったのでした。

 このパターン室には、パターンナーとして数人働いていましたが、その中の一人に、KAZが帰国するまでずーっと友達として付き合ってくれたロジャーがいました。彼は、周りのみんなから『神経質すぎる男』と言われており、KAZも『そんなに細かいところまで気にする?』といつも思っていたのでした。実は、彼の父もかの有名なクラークスという会社で長年靴作りに携わって来た人でしたし、彼もバーカー社に来るまでに、クラークスを始め、南アフリカやニュージーランドといった国の靴メーカーを渡り歩いてきたいう経歴の持ち主でした。

 またもう一人、キーになる女性が働いていました。名前はフランシス。父親が、ウイリアムの友人で娘が靴のデザインに興味があるということでコネで入社してきたという経緯がありました。滞在中にKAZは一度彼女の家に招かれたことがあり、やはり築250年とかいう古い立派な建物でなんと裏には馬2頭を飼っているほどの金持ちだったそうです。
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左がフランシス。フィレンツェのバーの前にて
 

 ロジャーは、このフランシスに好意をよせていました。ことあるごとに、ロジャーはフランシスが気になってしょうがないとKAZに話し、なんとかならないかと相談を持ち掛けてきました。もちろんKAZに話したところでなんともならないことはロジャーも分かっていたのです。KAZはKAZで当時27歳、日本に決まった恋人を置いてきているわけでもなかったし、かといって英国で青い瞳のガールフレンドを作れる英会話術もなければ根性もなかったのです。そんなKAZにも、気になる存在はありました。会社で給与関係の庶務の仕事をしている女の子でした。名前はトレイシー。まだ17歳のキュートな娘でした。

 KAZがゲストハウスで夕食を済ませた頃に、決まってロジャーがやってきました。KAZがコーヒーを淹れると、TVを見ながらロジャーは詰まらない世間話を繰り広げるのでした。KAZは、話の半分ほどしか理解はしていないのですが、だまって適当に合図地を打っています。ロジャーによるとフランシスは飛び切りの美人だが、トレイシーは普通だといいます。KAZにとってそれだけは譲れない。だからその意見にたいしてだけは「NO!」と答えていました。

 フランシスは、ロジャーが自分に好意を持っていることは十分承知でした。でもロジャーは、彼女のタイプではなかったのです。だからいつもつれなく対応していました。そんな気持ちをロジャーに分かってもらって、早く別の彼女を見つけて欲しかったのでしょう、フランシスは、いつもKAZに同意を求めてきたのでした。

「ねえ、KAZ。本当にロジャーって妙に神経質よね!神経質すぎるのよ!!」

それに対してKAZは困った顔はするものの同意はしません。だってロジャーにも気を使っていますから!

すると決まってフランシスは、こう言うのでした。

 Oh!poor KAZ!』 

ちゃんと自分の意見を言えないKAZに対して、英国滞在中に一番この言葉を投げかけたのはフランシスでした。「かわいそうなKAZ!」と。 

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記XXIV

 3月になり、KAZが待ちに待ったシーズンがやって来ました。何を待っていたのかって?もちろん本格的な

ゴルフシーズンです。英国はゴルフ発祥の地(正確にはスコットランド)なのだ。日本は幕末、桜田門外の変が起こった1860年に、かの有名なセントアンドリュースにて世界初のゴルフの選手権大会である全英オープンが初めて開催されているのだ。前述したように英国の気候は芝には最適なようでそこら中が芝生でおおわれている。国全体がゴルフ場のような所なのだ。

 KAZには、1年間英国に滞在している間に叶えたいと思っていることが3つあったのです。靴作りの知識を身に着けること、英会話を上達させること、そしてゴルフの腕を磨くことでした。

 英会話の上達は見込めないことが、この4ヶ月ちょっとの期間で、だいたい想像出来ている。そこで、残りの滞在期間でもっぱらゴルフの方で頑張ることにしたのだ。

 実は、KAZは深く傷ついていたのでした。ウイリアムから伝え聞いたレズリーの言葉に。あれだけレズリーには嫌われないようにと努めてきたのに。結果、完全に嫌われてしまったのです。あれ以来、レズリーがゲストハウスに顔を出すことはなくなりました。なのでKAZは、落ちた気持ちを立て直す為にも、ゴルフに打ち込むことにしたのです。

 本当に英国という国は、ゴルフをするのには最適なところです。18ホール1ラウンドを回る価格は1,500円程度。しかも車で15分も走らせればいくつかのコースが点在しています。ドライビングレンジ(練習場)やミニコースまで併設しており、施設は充実しています。毎週土日は飽きるまでコースで過ごすことが出来ます。

 KAZは、まず日本から持参してこなかったゴルフクラブを調達しなければなりませんでした。英国人は、非常にものを大切にする国民で、中古ものの売買が頻繁に行われている。KAZが15万円で買った車も日本ならとっくに廃車処分されるほどのボロ車で決して安くはなかったのですが、その値段で買わないと他の人に買われてしまう危険性もありました。家にはじまり、家具や革製のバッグなども、古いほど価値が上がるという体で、ものを大切にしていることがある種、自慢のお国柄なのです。そんな訳で地元夕刊の最後のページに毎日『売ります、買います』のコーナーがあり、様々なUSEDの品(中古品)が出品されていたのでした。

 ある日の夕刊に『ゴルフクラブ売ります』の記事を見つけました。価格は1万5千円。ちょうど狙っていた価格だったので、早速電話を入れてアポを取り、受け取りに出かけていったのでした。

 売主として記してあった住所の家を訪ねると、80歳にはなろうかという老人が出迎えました。ゴルフクラブを譲ってほしい旨の挨拶をすると、おもむろにその老人はこう質問してきました。

 「君はゴルフが好きかい?」

 「Yes」とKAZが答えると

 「どのぐらい」と老人

 「I LOVE GOLF!」とKAZ

 「では!」と老人が取り出して来たクラブが、50年前に父親が息子(その老人)にオーダーで作らせたというシロモノ。今や、完全にアンティークのクラブだったのです。

 すでにお分かりと思いますが、ここまでの流れを受けて、KAZがその老人に対して「こんなもん、欲しくないわ!」と断れる勇気を持っているはずがありません。

「こんな素晴らしいもの良いんですか?」とニコニコ顔で買い受けたのです。このクラブ、飾って置いたら十分価値のあるシロモノだったに違いないと思えるのだが、KAZがおバカな点は、『折角、I LOVE GOLF!といって譲って貰ったクラブだ!』とそのクラブを使って、実際にラウンドを続けたということで、結果、日本を出る前には、90を切る腕前だったのに、やればやるほどひどいスコアになり、フォームもボロボロ、終いには打ち方すら忘れる羽目に。120を叩くことも頻繁になり、腕を磨くどころかトホホな結果に・・。

Oh!poor KAZ!』 

 まったくかわいそうなKAZであります。

Photo

 

フェースにドットが入ったアンティークなクラブ

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記XXIII

通常、日本のアパートやマンションにあたる家を英国ではフラット(flat)と呼んでいる。フラットは、複数の家が一連の屋根の下に集まっている建物の中に入っており、江戸時代の長屋を2階建てにして、レンガ作りの頑丈な建物と思えば想像がつくかもしれない。このフラットもベットルームが、複数ある場合だと仲間数人で借りて(もちろんキッチンやバスルームなどは共有することになるのだが)、家賃をシェアすることも多い。KAZは、「3ヶ月の間、英国の生活に慣れるまでは、社長の家族と一緒に暮らし、それから一人暮らしを始めればいい」と言われていたので、もっぱら小さいフラットを借りて一人で住むか、場合によっては他人とシェアする形になるのだと思っていた。
 KAZが知らない間に、ウイリアムとレズリーが相談した結果、KAZ一人をフラットで生活をさせるのは無理(本当の理由は不明)と判断し、いっそのこと会社にやって来る海外からのバイヤーたちやセールスレップたちの宿泊先にも出来るからと、今後の事までを考えて、この豪邸を購入し、会社のゲストハウスにしちぁえと言うことになったらしいのです。

 当初の3ケ月が経ち、いよいよ心待ちにしていたカズの一人暮らしが始まりました。またまた驚くことに、このゲストハウス、ベッドルームが7つもあったのです。KAZはこのゲストハウスの管理人を任命されました。そして、その中でもメインであるツインの部屋があてがわれました。キッチンには、大型の冷蔵庫、それにオーブン、電子レンジはもちろん食洗器まで備えられ、家事室に乾燥まで出来る全自動洗濯機とアイロン。一人暮らしをするのには十分すぎるほどの設備です。
Photo 15万円で手に入れたボロ車

KAZは行動しやすいようにと、この日のために事前に車も買っていました。ウイリアムの友人から15万円と格安のボロ車ですが、走ればいいのですから、文句はありません。この車を使って、15分ほど行った所にある大きなスーパーマ―ケットに買い物に行けば、冷凍食品を中心に1週間分の食料品をまとめて買ってこれます。KAZにとっては、誰にも気兼することなく生活出来る十分すぎるほどの環境が整ったのでした。

 朝食は、卵とベーコンを焼き、トーストに大好きなコーヒー、昼食はカンティーンの使用を中止して、工場近くの売店でチーズサンドを購入、夕食は、メインの冷凍加工食品をオーブンにぶち込んで、添え物のポテトはレンジでチン、あとはえんどう豆やインゲンの青物野菜はこれも冷凍ものを湯がくだけ。それでKAZには大満足だった。ちっとも面白くはないが好きなだけTVを見、さらにバイヤーが来て泊まることは本当にまれだったので、今まで我慢してきたお風呂も肩までつかることが出来るようになってこれも大満足。英国に来てから初めて束の間の解放感を味わっていたのです。

 KAZが一人暮らしを始めてからもレズリーは、毎日のようにKAZを心配してゲストハウスにやって来ていました。食べ物で困っていることはないか?洗濯物はたまっていないか?電化製品の調子はどうか?とか聞いてきます。KAZはその度に「何も!」と答えるだけだったのです。KAZがいない間も時々見に来ているようで、ベッドカバーが洗濯されて取り替えられたりしていたりしていました。

 KAZの本当の気持ちとしては、この頃のレズリーの世話は『ちょっとウザい』だったのだ。誰に気兼ねすることも無く、自由な時間を手に入れたKAZにとっては、『僕は、もう大丈夫。レズリー、早く子離れならぬAZ離れして!』なんて、勝手なことを考えていたのです。

 レズリーにしてみたら、そんな気持はとんでもないこと。KAZという存在は、日本から来た大切な客人と言うよりも、年齢だけは26歳という立派な青年ながら、自分の本当の息子たちにも負けない、手の掛かる厄介な子どもだったのだ。

 アンドリュー以外の二人の息子は、全寮制の学校の寄宿舎暮しの為に、心配はしたくてもどうにも出来ない。長男のアンドリューは、年頃のせいでちょうど反抗期をむかえている。過干渉にすればもっと厄介になる事を賢いレズリーは知っていた。だから『レズリーには絶対嫌われない作戦』実行中の物言わぬ、おとなしい男KAZは、レズリーにとって面倒見がいのある存在だったのだ。そんなことで、レズリーは毎日のようにゲストハウスにやって来ては、あれこれと世話をやき、KAZはKAZで、本当の気持ちは封印して、いつものように言葉少なにニコニコと対応し平穏な日々を過ごしていいたのです。もちろん『レズリーには絶対嫌われない作戦』はずうっと継続していたのです。しかしそんなKAZの思いとは裏腹に、あの衝撃的な事件は起きたのでした。

 一人暮らしを始めてから1ヶ月程経った頃でした。KAZが仕事を終えて夕飯の準備をしているところにウイリアムがやって来ました。最近は、二人は会社でも滅多に会えなくなってなっていました。ウイリアムは今までと同じで必要以上のゆっくりした口調でKAZに語りかけてきました。

「大丈夫、変わりはないかい?」「困っていることとかはないかい?」

何か重要なことを伝えにきていることをKAZは察知しました。なのでいつも通り神妙に耳を傾けていたのです。ウイリアムは続けます。

「KAZ!英国に来て4ヶ月。もうそろそろ慣れてきただろう!」

「だから、あのもうちょっと、もうちょっと英語で話したらどうなんだい?」

「なんでも良いんだ!例えば、お皿がテーブルの上に」

「今日は、テレビを見るんだとか!」

「とにかく何でもい良いんだ!もう少し、しゃべる努力をした方がいいよ!」

KAZはか細い声で「Yes,I will try」と答えるだけで精一杯だった。

そして帰り際に、ついにこの言葉が発せられた。

「レズリーが、KAZは何もしゃべらず、ニコニコしているだけで、何を考えているのか分からず・・・」

「気持ち悪いって、言ってたぞ!」

 

 『レズリーには絶対嫌われない作戦』が完全に失敗していたことを知った瞬間でした。

Oh!poor KAZ!』

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XXII

 アメリカ人と食事を共にしたあともKAZの生活態度(behavior)は一向に変わらなかった。いつも通り、寡黙で、いい子で、余計な事(失敗や無作法)をしないように慎重に行動していた。レズリーが作ってくれる料理は毎回お代わりして、ついでにスイーツまでもお代わりして、でも「今日の食事は人生最高!」と毎日言えるわけもなく、ただ感謝の言葉を満面の笑みに代えて美味しかったを表現していたのだった。(今になって思えば「デリーシャス」ぐらいは言えたと思えるのだが?)

 KAZは思い出していた。KAZが小学校の低学年の時だった。その頃の宮城興業は東京の浅草に営業所があった。何人かの営業マンがいて、その中の一人が、在日韓国人の人であった。彼は日本生まれだから、もちろん普通に日本語を話すのだが、どこか日本人離れしたところもあった。毎月決まって山形の本社に営業の報告やら新しい仕事の打ち合わせでやってきた。その日は必ず、KAZの家で夕食をとることになっていた。茶の間のテーブルにKAZの母親が作った夕食が運ばれてきた。特段スペシャルな夕食ではない。ごはんとみそ汁に天麩羅などが少々と漬物ぐらいのものだ。食事が終わって母がお膳を下げにくると、その人は頭をテーブルにこすりつけるほどのお辞儀をして、大きな声でこう言うのだった。

「奥様!山海の珍味、おご馳走さまでした!」母にくっ付いていたKAZにはなんと言っているのか理解出来なかった。母は笑っていた。それ以来、KAZは毎月この人が来るのを楽しみにしていた。来れば必ず、夕食を食べ終わるまでじっと隣で待ち構え、「奥様!山海の珍味、おご馳走さまでした!」の声が聴けると「やったー!」と大喜びするのだった。母はその度に『くすり』とはにかむのだったが、何となくうれしそうでもあった。子供だったKAZは、その時も思っていたのです。『山形県の人は絶対言わないなー』と。『だって天麩羅だって、蓮根とさつま芋ので、みそ汁の具も大根か何かだ。』『山海の珍味ってどこにも海の物は入っていないじゃん!』ってね。

 英国に来て以来の3ケ月間、KAZは、とにかく慎重に生活を続けた。英語は全然上達していない。相変わらず、神経を集中してのヒヤリング。相手が何を言っているのかを必死でくみ取り、聞き取れない場合でも「もう一度、お願いします」は何度も繰り返さない、答えは「Yes」か「No」か。余計なことは言わない。だって日本人は寡黙な人種なんだもんを決め込んでいた。ウイリアムの言っていることは100%理解出来る。何しろKAZに合わせてゆっくり話して呉れるから。家族から「お父さんの英語だんだん変になってるね!」といわれても、ちゃんとKAZに合わせてくれている。何と言ってもKAZがこの地で生きていくための最大の課題はそう『レズリーに嫌われない』ことだ。それが一番大事なミッションだったのだ。そうしている間、レズリーは、KAZが知らぬ間に、一人暮らしを始められるようにと、住める場所を探し、安心して快適に過ごせるようにと、内装やらなにやらと彼女の趣味でせっせと揃えてくれていたのだった。そして驚いたことにKAZが一人暮らしをするところは、想像していたものをはるかに超える豪邸であったのだ。

Jpg

ゲストハウス正面

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XXI

 日本と諸外国では、言葉だけではなくコミュニケーションの質や量でも違いがあるはずです。日本国内にしても関西と関東を比較しても大分違います。『関西のおばちゃんはよくしゃべる!』に疑問の余地はないのです。

 コンテクストという言葉を聞いたことがあるでしょうか?アメリカの社会学者エドワード・T・ホールは文化と言語において、世界には2つのコミュニケーション・パターンがあると説いています。
 ひとつは高コンテクスト文化で、人間関係や社会習慣など、言語メッセージ以外に依存する傾向が強いタイプのコミュニケーションを指します。詳しく説明しなくてもお互いにわかりあえる、いわば「察しの文化」です。もうひとつは、低コンテクスト文化。こちらは言語が緻密性を持ち、言語以外のものに依存しない傾向が強いタイプのコミュニケーションのことです。何事も言葉にしないとわかりあえない「言葉の文化」といわれます。

そうなのです。日本という国は、間違いなく、高コンテクスト文化の国なのです。日本国民は、あれこれ細かくしゃべらなくても察する気持ちを持っているんです。口は禍の門、もの言えば唇寒し秋の風、沈黙は金、雄弁は銀、巧言令色鮮(すく)なし仁、なのです。そういった意味では、KAZは立派な日本人です。ましてや東北の代表です。父親が、なにげにお茶碗か急須に目を向ければ、母親はそれを察してすぐにお茶を入れて出す。誰も一言も発しなくても一連の動きになる。そういう家庭で育ったのですから。

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 KAZは英国滞在中に、英国人は日本人の倍はしゃべるな!と思ったそうでした。でもバーカー社に来たアメリカ人のバイヤーが英国人よりも4倍の量を話し、コミュニケーションを取っているのを見た時に、世の中には様々な人種がいて文化も違うことを知りました。

ある日、ウイリアムがアメリカ人を招いて、家で夕食を取ることになりました。家に招くということは、特別なお客様に対する最高のおもてなしになるのです。KAZも末席でご相伴することになりました。その日もレズリーは、腕によりを掛け、とても美味しい料理を提供してくれました。食事の後に、スイーツが運ばれ、コーヒーも飲み終えた頃に、そのアメリカから客人は次の一言を発しました。

「LESLEY!THE BEST MEAL I HAVE EVER HAD!」

(レズリー!今日の食事は私の人生で最高のものだったよ!)

KAZは一瞬耳を疑ったそうです。『確かにレズリーの作る料理はとても美味しい。』『でもアメリカさんよ!何もそこまで大げさに言わなくても。』『あんた何かい?今までろくなものを食べてこなかったってわけ?んなわけないでしょう!』と心の中で何度もツッコミを入れていたのだそうです。

さらに、『日本人はそこまで見え透いたお世辞は言わないわな!』『人生で最高!んなわけないわな?』『なんぼなんでもそこまでは無いわな!』と心の中で呟いていたのです。

『私はそこまでのお世辞はいいません。日本男児は美味しくいただいて、そうお皿に何も残さずいただきました。と、後はにっこりとほほ笑んで・・・と』社食(カンティーン)の食べ物はほとんど食べられず残しっ放しだったことなどすっかり忘れているのでした。

KAZは、この時まだ『レズリーに嫌われない作戦』がいずれ大失敗に終わることを知らなかったのです。

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XX

 KAZが食事以上に苦労したのが、コミュニケーションであった。英語が苦手だったのはもちろんだったが、コミュニケーションでの苦労とは、それ以前の問題である。

 今の若者は聞いたこともないと思うが、昭和世代なら『男は黙ってサッポロビール』は誰もが皆知っている名フレーズだ。かの日本を代表する俳優の三船敏郎のCMだ。当時サッポロビールに就職しようと面接に行った学生が、面接官の質問に一切答えず、ただ黙っていた。腹を立てた面接官が「なぜ黙っている!!」と問いただすと、その学生が一言。「男は黙ってサッポロビール」と答え、見事内定をもらったという、就活生の間では都市伝説にもなっているほどの名キャッチコピーである。何を言いたいのかというと、このコピーが、その時代を過ごした「男たち」に多大な影響を残したのではないか?ということなのだ。日本では、男は寡黙であるべきだという価値観がある。だからあまりしゃべらないかの名優・高倉建がかっこいいのだ。「沈黙は金」なのだ。

Sapporo

 日本では昔から、女性にへらへらと媚を売るような軟弱な男は、ナンパ野郎と言われ、男らしくないと嫌われているのだ。現代でもチャラ男と言われている軽い男は女性に嫌われる代表なのだ。祖父も父も寡黙だ。必要最小限なことしか言わない。「風呂!飯!寝る!」としか言わないのだ。ましてや奥さんにだって、「愛してる!」なんて言えるのは、生涯に3度ほど言えば多い方だ。言えば言うほどその言葉の価値が下がってしまうからだ。ましてや東北の山形からほとんど出たことのないKAZのDNAにはこのことが十分しみ込んでいる。かの有名な「どさ?」「湯さ!」(どこにいくの?お風呂入りに!)という会話より短い会話、「けっ!」「く」(食べて!食べる!)という会話が成立する地域なのだ!あまりの冬の寒さと雪の多さ故、なるべく口を開くたくないのだ。

 前章でKAZという男は情けない男といって、男であることを否定したが、この点はすっかり日本男児の代表なのだ。

そんなKAZは、社長一家と一緒に生活した3ケ月間、ウイリアムが仕事がひと段落して、家に帰る直前、毎日決まって奥さんであるレズリーに電話を掛ける。そして「これから帰るけど、何か買い物で買い忘れたものとかはない?ウン、ウン、そうか、卵とベーコンを買って帰ればいいのね?ウン。I love you! See you!」なんてやるもんだから、『あと15分もすれば会えるやろ!なんでそんなに簡単にI love you!って言えるん』って関西人でもないのに心の中でツッコミを入れていたんです。

 だから、『レズリーに嫌われない作戦』実行中のKAZではありましたが、そこまで多くの言葉を駆使してレズリーに気を使うウイリアムの態度は、日本男児としては、受け入れるわけにはいかず、KAZは寡黙ながらも『レズリーに嫌われない作戦』を実行し続けたのです。それは『どこまでも、お行儀よく、そしていつも明るく、にっこり戦術』です。

 でもこの戦術は後日トホホな結果に。

 そうです、またまた『Oh!poor KAZ!』の始まりです。

 

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XⅨ

 KAZが英国滞在中、いかに食事に苦労したかを書いているとページが足りなくなる。なので今回が食事の苦労話は最後としよう。

 会社の食堂をカンティーンと呼ぶことはすでに紹介した。そこで働く3人のおばさん。失礼!とてもチャーミングな女性たち。一人はウイリアムの奥さんと同じ名前レズリー、そしてステファンとジーンだ。

 KAZが1年の滞在を終えて日本に帰る直前にこの3人からメッセージをもらっている。

ここにそれを紹介しよう!

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カンティーンの3人の女性からいただいたメッセージ

 日本からアールスバートン(バーカー社がある村の名前)に、この紳士はやって来たのでした。

会社の食堂を楽しみに出来るよう、私たちはこの青年を喜ばせようと美味しいものを用意したのに

Poor young man)かわいそうな青年は、餓死しそうなほど食が進みません。

しかし、そんな時期も大きな試練の前には長くは続かなかったのです。

レズリー(社長夫人)の作った食事はやはり最高だったのかな?

貴方が生き残って帰国出来るのは何にもましてうれしいことです。

だってもし貴方が、死んじゃったら大変なことになっていたもの!

バーカー社食の3人より

 

 KAZという男は、なんて情けない奴だって思いませんか?こんなに優しいおばさんたちが、これほど愛情を注いで作ってくれた食事をほとんど食べずに残していたなんて?海外に行くということは、日本を代表しているという覚悟が必要です。日本人は侍の魂を宿していると皆信じているんです。

『KAZ!お前は日本人代表失格だ!』と言ってやりましょう。

あなたは本当に『Poor young man(かわいそうな青年)だ!

 

 そうなんです。本当にそうなんです。KAZは英国滞在中にいつも『Poor』と呼ばれていたのです。

Poor KAZ!』と呼ばれていたのです。「かわいそうなKAZ!」と。

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XVIII

30年前の英国事情をダイジェスト版として綴ってきたが、今回からこの話の主人公KAZの話に戻すことにする。何故、KAZの英国は靴の聖地・ノーサンプトンでの1年に及ぶ滞在が、滞在と呼べるものではなく漂流であったのか?という話である。

 KAZのウイリアムの家での生活は、3ヶ月の予定であった。英国での生活に慣れるまでという配慮であった。その間のKAZの最重要戦略は『奥さんであるレズリーに絶対嫌われない!』という大作戦であった。

 レズリーは、フランス料理の本と睨めっこしながらKAZの為にほぼ毎日本当に美味しい料理を作ってくれた。ほぼと言ったのは、週に1度、必ずと言える水曜日か木曜日のいずれか?はストライキがあったのです。たしかに『英国にも美味しいものはあるのよ!』と気合が入っていたのでしょうし、ストレスもあったのでしょう!必ず週一はストライキが発生しました。会社からウイリアムと帰るとキッチンのテーブルにサラダが盛り付けられたボールが1個だけ乗せてありました。ウイリアムはすぐに事情を察し、KAZに『今夜はこれだけだ!』とだけ言い残してレズリーの機嫌を直すためにベットルームに消えて行きます。ドレッシングもかけられていない野菜を塩だけで食べなければなりません。やっと小皿一皿分だけなんとか胃に押し込み、そんな夜は空腹のまま一晩耐えなければならなかったのです。でももちろん文句はいえません。レズリーはKAZの為に6日間必死にやって呉れているのです。KAZは『レズリーに絶対嫌われない!』作戦を実行中なのですから。

 ウイリアムもレズリーに大変気を使っていました。食器洗いはウイリアムの担当です。食事が終わるとレズリーは当たり前のようにベットルームに引き上げていきます。もちろんKAZも手伝わなければなりません。食器を洗うだけではなく、ペットとして飼われていた2匹のバカ犬にも食事を上げなければなりませんでした。

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食器を洗いながらウイリアムは何やらブツブツと独り言を言い始めます。「英国では、これが当たり前。何せ女王の国だからな!英国では、奥さんと奥さんの両親にやさしくして、気に入られないと生きては行けない!」そんな事を呟いていたんだと思うと、KAZは言う。

 「食器洗いを手伝いながら気が付いたんだけど!」とKAZが説明する。「英国では、食器はすすがず、泡が付いた状態で後は、タオルで拭くだけなんだ!」「それで気が付いたんだけど?」どうやらバスタブに5cmしかお湯を溜めるなと注意された件の説明を人間もそのままタオルで拭かないと説明がつかないということを言いたいらしい。このことの真偽は定かではではない。

 ウイリアムの提案だったのだろうか?2ヶ月程すると週に2回は外食するようになった。それ以来レズリーのストライキはなくなったのだ。その内1回はパブかチャイニーズの店だった。問題はもう1回のインド料理の方だった。インド料理といっても英国でインド料理屋を営んでいるのは、インド人ではなくほとんどがパキスタン人かバングラデシュ人である。もちろんカレーが提供される。日本のカレーも美味しいが、こちらのカレーも絶品だ。でもその何が問題なのか?KAZは極端に胃が弱かった。以前に十二指腸潰瘍を患い手術をしていたのだ。美味しく平らげたカレーであったが、食後のコーヒーを楽しむ頃に、必ずKAZの胃が、ムカムカと騒ぎ始める。「イクスキューズ・ミー」と言って席を外し、トイレに向かうと美味しくいただいたものを全て吐き出さなければならなかったのだそうだ。本当に食べ物では苦労するKAZであった。

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XVII

 ダイジェスト版の最終です。8話目は、お酒とパブついてのお話。

英国スタイルのパブもすでに東京に行けば何十件とあるはずでどんなスタイルか?は知っている人が多いと思いますが、何せ英国ではパブが社交の場の代表だということです。大げさではなくどんな小さな村にでもパブはあります。

 では、地元の人たちはこのパブで何を飲んでいるか?英国といえばスコッチウイスキーをイメージすると思いますが、一番飲まれているのはビールです。発音は『ビアー』です。このビアー、全国的なシェアを誇る銘柄もありますが、主には地ビール的なものが多く売られています。なのでその場その場で味の違いを楽しむのも良いですが、厄介なのは日本のビールと違って低発砲な上、ぬるいんです。どちらかというと麦茶に焼酎をちょっと足したような感じです。(この感想は30年前のもので、今は大分観光客向けの為、改善されている)日本のビールに似たものが好みだとしたら『ラガー』と注文したほうが良いです。『a beer』と注文すれば、1パイントという大きめのジョッキのものが手渡される。料金と引き換えです。これも英国ならではの単位になのだが、1ptヤード・ポンド法の容量の単位で8分の1ガロンになる。分かりやすくすると約0.57リットル、日本のビール大瓶が0.633リットルなのでそれより少しだけ少ない。飲みきれないと思ったら『ハーフ・パイント』という頼み方も出来ます。友達何人かとつるんで飲みにいくことが多く、その場合は1杯ずつ奢りあうのが礼儀なので、『This is my round』と言って皆の分をたのむことになります。 

 もちろんパブで提供しているのはビールだけではない。ウイスキーもあればジンもワインもあるし、ノンアルコールの飲み物もある。食べ物となると小さなパブでは提供していないところもあるが、日本で言う『乾きもの』はある。主にポテトチップスなのだが、これも呼び方が違う。『クリスプ』と呼んでいる。比較的大きなパブになるとレストランと変わらない料理を提供しているところもあるのですが、通常の規模のパブですと肉をパイで包んだものや英国人が大好きなフィシュ&チップスなどが提供されます。このチップスは日本でのフライドポテトにあたります。
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 ほとんどのパブは中央のカウンターを挟んで2つの部屋に分かれているのですが、これも階級社会の産物で1つは中・上流階級の部屋でもう一方が労働者階級の部屋になっています。労働者階級のほうには、大抵ビリヤードの台とダーツの的が常備されており若者が興じている。上流階級の部屋には大抵、ネクタイとジャケットに身を固めた人たちが、政治の話や家族自慢、または旅行に行った土産話など何時間にも渡って、それも立ったまま、それぞれの顔の距離が近すぎと思えるほどの近さで話し込んでいる。

 話は変わるが、英国では昔、テレビ放送が始まった頃に、『こんなものを毎日見続けたら国民がバカになってしまう。なので、なるべく面白い番組は作るな!』と言った人がいたらしく、それ以来、英国のテレビはずーとつまらないのだという話を聞いたことがあります。多分、今現在でもチャンネルは4つしかなく、そのうち一つは、NHKの教育テレビを100倍つまらなくしたチャンネルなままのはずです。だから家にいてもつまらないので夜な夜なパブに通っては、何時間でも話続けるのだろうと理解できるのです。

 お酒の最後の話です。ウイリアムの家には地下室がありワインセラーになっていました。ある日、ウイリアムはその部屋で、いつの時代だか分からないほど古いビールの入った樽を見つけました。早速、キッチンまで運んでそっと栓を抜き味見をしてみました。自分では判定出来なかったのでしょうか?今度は隣の主人を呼んできて一緒に味見を始めました。すると「どう思う?」とウイリアム。「こりゃ、深い味わいだな。ラブリーな味だ」と隣のご主人。「KAZも少し飲んでみろ!」とウイリアム。怖々とほんの少しだけ舐めてみて思ったのは『酢になってるだけじゃねえの?』とのKAZの感想だったのです。英国人の味に対するレベルはどれほどのものでしょう?

 

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記XVI

ダイジェスト7話目は、生活習慣、behaviors(ビヘイビアー)ついてのお話。

食事中に「ゲップ」をしてはいけないことぐらいは皆さんご存知ですね。ビールを飲んだ時など油断しているとどうしても「ゲフッ」となって困ります。英国の子供たちは、炭酸飲料などを飲んでどうしてもしたくなると口を押えて外に出てからしたりしてます。

国によって違うはずですが、英国では平気で鼻をかみます。それもかなり大きな音をたてて「チーン、チーン」と、あれはRude(無作法)ではないんでしょうか?

 くしゃみすると「God Bless you!」(神のご加護を!)と言われます。KAZはアレルギーではないんですが、毎朝の気温が変わるころに5回~10回連続でくしゃみが出て、その度に「Bless you!」と言われて閉口していました。日本ではどうなりますか?「風邪ひいた?」ぐらいの声は掛かりますかね?誰かがくしゃみしたら「Bless you!」とそばにいる人が必ず言う。お決まりになっているようです。

これらの習慣の違いに当社KAZは、相当戸惑ったはずです。何しろ日本から一歩も出たことがなかったのですから!

KAZが滞在を始めて間もなくのことです。下2人の息子たちが学校の寄宿舎から週末に帰ってきて家族全員で日曜の昼のディナーを食べることになりました。家族とはいえいえ一応正式なディナーです。テーブルの上には、普段のサパー(夕食)の倍のお料理が並んでいます。もちろんフォークとナイフを使います。食べ始めてからすぐに一番下の息子エドワードが声を発します。
Photo_9 この写真はクリスマスの時のものです。
レズリーのご両親を囲んで。

「KAZ!Please pass the solt

名前を呼ばれたのは分かったのですが、意味が分からずきょとんとしていました。目の前にある塩を取ってちょうだい!と言っていたのです。確かに塩の入った入れ物はKAZの目の前にありました。でもエドワードがちょっと手を伸ばせば取れない距離でもありません。

KAZが事態を理解するまでには少しの時間が必要でした。英国のマナーでは、他の人のお皿の上を遮って手を伸ばすのはRude(無作法)なことだったのです。そんなことがあって以来、KAZは注意深く他人の行動を観察しなければならなくなりました。

 

ついでに日本人にありがちなことです。日本人はよく「あーそ-ですか?」とか「あーそーなんですね!」って使いますよね。特にかしこまった時に使いがちです。ところが、英語圏の人たちには、「arsehole」つまり『ケツの穴』です。日本人がケツの穴を連発してるって聞こえるんです。

これも立派なswear words」(罵る言葉)です。

 

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XV

 ダイジェスト6話目は、インフラついてのお話。

英国では、高速道路を中心とした幹線道路のすべてが、ロンドンから放射線状に伸びている。つまり『すべての道はローマに通ずならぬロンドンに通ず』なのです。また、その放射線から随所に横にも道路が整備されているため、蜘蛛の巣のように張り巡らせているのである。また特筆すべきは、高速道路がすべて無料であるということ。さらにはちょとした田舎の道の道路幅は普通でも、歩道やらが広く取られているため、見通しが利くので結構なスピードで走ることが出来るのです。またまた付け加えるならば、どんな道、小径だろうが、名前が付けられています。なので旅行に行く際には、事前に地図を広げ、『どこどこへ行くならば、何という名前の道を進み、次に何という名前の道に乗り換えて』とメモしておけば、ほとんど迷わずに目的地に到着できる仕組みになっています。ある程度スピードも出せるので、100Kの道程は、1時間でと予定も立てやすいのです。

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この地図があればどこにでも行けた

実際にKAZがスコットランドへ車で一人旅した時も工程が900Kで途中休憩をいれながらも9時間で走破することが出来たのです。もちろん信号機もあるにはあるのですが、交差点の主力は、日本にもテスト導入されはじめたばかりのラウンドアバウト方式です。英国では平地が多くスペースを十分に使える国土の利点を十分いかしています。一時停止は必要なものの流れに沿って、時計回り(左回り)をすればスムーズに進める利点があります。右折する際には交差点を4分の3周する必要がありますが、赤信号で無駄に止まる必要がないために時間の節約が出来るのです。

これも日本と違うところですが、鉄道にしても道路にしても、変に曲がりくねって寄り道をしないようになっています。日本は、山が多く居住スペースや使えるスペースが限られているからとも思えるのですが、力のある政治家が、地元の為といって無理やり曲げている点もあるように思えます。その代表といえば大正時代に「平民宰相」と呼ばれた辣腕政治家・原敬であり、我田引水ならぬ「我田引鉄」と呼ばれた利益誘導型の政治が生み出した悪弊と私は考えます。

日本の政治家にもう少しグランドデザインのセンスがあればと考えているのは、はたして私だけなのでしょうか?

  To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記XIV

 ダイジェスト4話目は、スポーツについてのお話。

日本でも今や様々なスポーツが楽しめるようになりました。昔は、場所もなかったのでちょっとした広場で三角ベースとかしか出来ない時代もあったのですが、どんどん環境が整備され、今では、様々なスポーツクラブにチャレンジでも練習でも出来るようになっています。近年ではボルダリングなるものも流行って当社の社員にも愛好家が増えています。

 英国のスポーツ事情はというと、さすがに歴史もあり紳士の国でもあり、日本以上に様々なスポーツを楽しんでいます。サッカー(英国発祥で呼び方はフットボール)が人口的には1番だと思いますが、その他にもテニスやラグビー、もちろんKAZが大好きなゴルフも盛んです。日本人にはあまり馴染みがないスポーツもたくさんあります。英連邦ではお馴染みのクリケット、ポロ、スヌーカー(ビリヤードの親分的もの)などです。お年寄りが楽しめるものとしてボーリングなんてのもあります。こちらは10ピンボーリングとは異なるもので、ゲームとしてはカーリングに似ているかも知れません。

 英国は、緯度的には北海道ぐらいになるのでしょうが、霧と雨のイメージが強いのですが、暖流が流れている影響で、スコットランドまでの南では、比較的温暖で雪もさほどは降りません。大地も肥沃なのだろうと思うんですが、手入れをしなくても勝手に芝が生えてくるのではと思いたくなる土壌なのです。丘と呼べるものはありますが、高い山も見あたらない。なので居住空間が広いのです。川も比較的ゆっくりと流れています。

 スポーツとは関係ない話になってしまいましたが、それゆえ乗馬とか釣りなども盛んなのです。土日ともなると若い女性は馬にまたがり、一般の道路をカッポカッポと闊歩しています。(シャレのつもり)またマスなどの川魚の釣りの場合、ほとんどがフライフィッシングです。竿を振り回せるスペースが十分にあるのです。

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 さすがに狩猟民族だけあって、ハンティングなどは主に上流階級の嗜みの一つになっている。KAZもウイリアムに連れられて何度か同行しました。(もっぱらバカ犬の監視に終始したらしいのですが。)ハンティングには暗黙のルールがいくつかあり、主催者が当日の回るコースを決めていく。広大な畑には、ところどころに藪のような茂みがあり、ラウンドごとにその周りを取り囲む。するとその日雇われた勢子たちが、缶を叩いたりして茂みに潜んでいる、雉などの鳥を追い出す。人に弾が当たらない高さまで飛んだところで「ズドーン」と散弾銃を放つ仕組みになっています。1日に数ラウンドするわけですが、時間になると上着バーブワーやラベンハムなどのハンティングコートと履いていたウエリントンブーツ(緑色のゴム長くつ)を脱ぎ、カントリーシューズにツイードのジャケットに着替えてからの昼食、となるあたりがやはり紳士の国です。

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 1226日(つまりクリスマスの翌日)に行われるハンティングにも驚かされます。こちらは伝統的なキツネ狩りです。その日は、白いパンツに真っ赤なコートを纏った紳士たちが20頭ほどの馬にまたがり、さらに100頭ほどの猟犬が今や遅しとスタートをまっています。その周りを動物保護団体の人たちがプラカードを手に囲み、反対を訴えている。

 紳士の国、英国ならではの伝統と新たな価値観に揺れる情景に触れた瞬間でもあります。

To be continued



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KAZの靴の聖地・漂流記XIII

 ダイジェスト4話目は、英語についてのお話です。

KAZが受けた英語教育は『This is a pen.』で始まる文法が中心のもの。このフレーズっていつ使う?と思うのですが、現在は『Hi!Hellow!』で始まるようになっていると思います。各中学校にはALT(assistant language teacher)が配置され、ネイティブな英語が学べるまでになっている。KAZの英語がどれほどダメなのかは、後日述べるとして、もし英国に旅行しようとか、留学を希望しているとしたら、行く前に是非見てもらいたい映画がある。オードリー・ヘプバーン主演の「マイフェアレディ」である。もともとはミュージカル作品でこちらは英国生まれの女優ジュリー・アンドリュースがヒロイン役を務めた。

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 この映画を見て分かるのは、英国の英語にはアクセントでの方言があるということと、階級によって話し方が違うということだ。方言については、よくオーストリア英語は「Good day today」の発音が「グッドダイ トゥダイ」に聞こえる。つまり「いい死旅立ち」と言っているように。

 英国でも同じなのだ。カナダから来た客人にスペルを聞かれた地元の人が、「A」の発音を「アイ」というので、何度も確認の上、「あ~、エーね!」と直されたりしていた。

 それと「H」の発音がフランス人のように抜けるというか、出来ていない人も多い。「Hellow!」が「アロー」と聞こえる瞬間である。

 さらにKAZを悩ませたのが、「swear words」の存在であった。天を罵る言葉というか、日本で言えば放送禁止用語である。もちろん学校では決して学べない言葉たちである。一部の上流階級の人たちを除き(陰では使っていると思うのだが?)本当に普通に、多くの人たちが、日常会話で平気で使います。

 例をあげると「f●ck」「sh●t」「bith」とかですかね!

TPOをわきまえないととんでもないことになる言葉なんですが、友達同士の会話では、これをあえて使わないとフレンドリーらしさが表現出来ないということで、本当に頻繁に使われます。

どのように使うかというと

 「Its fcking hot today!」⇒今日はくそ暑いね!

 「What a fcking is this?」⇒なんじゃこりゃ?ってな具合に使います。

 そんなわけで、テレビでドッキリ的な番組でだまされたりした人はこの言葉を連発するもんだから、「ピー・ピー」とこの言葉を消す音が、連続で流されることになるわけです。

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅻ

 ダイジェスト3話目は当時の英国事情についてです。

1985年当時の英国は、英国病の真っ只中にあった。英国病とはウィキペディア(Wikipedia)によると国を挙げてセカンダリー・バンキングへ傾注した1960年代以降のイギリスにおいて、充実した社会保障制度や基幹産業国有化等の政策が実施され、社会保障負担の増加、国民の勤労意欲低下、既得権の発生、およびその他の経済・社会的な問題を発生させた現象である。とありなんのことだかさっぱり理解出来なくなるのだが、一時7つの海を制する国とまで言われた大英帝国だったが、第二次世界大戦後、その主権をアメリカに譲り渡し、主に労働党が進める「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる社会保障制度が確立、石炭電力ガス鉄鋼鉄道運輸などの産業を国有化したこと、さらに加えて金融面での変化も含め、一気に国力を低下させてしまったのでした。のちに労使紛争の多さと経済成長不振のため、他のヨーロッパ諸国から「ヨーロッパの病人Sick man of Europe)」と呼ばれることにもなってしまったのです。

その状況に憤然と立ち上がったのが、「鉄の女」と異名をとったマーガレット・サッチャーであった。首相を務めたのが1979年から1990年までの11年間である。サッチャーは新自由主義に基づき、電話ガス空港航空水道などの国有企業の民営化や規制緩和金融システム改革を掲げ、それらを強いリーダーシップで断行した。さらに改革の障害になっていた労働組合の影響力を削ぎ、所得税法人税の大幅な税率の引き下げを実施。一方、付加価値税(消費税)は1979に従来の8%から15%に引き上げられた。しかし、その在任中に英国がV字回復をしたわけではなく、KAZが滞在した1985年から1986年にかけての英国では、失業者が町にあふれ、スキンヘッドやパンクの格好をした多くの若者が、パブの前にたむろする姿があり、景勝地にもゴミが散乱するような時代でありました。(尚、次の労働党率いるトニー・ブレアー首相の時代に、英国は15年に及ぶ経済成長を遂げることになる。)

その当時、ウイリアム・バーカーは、現工場のすぐ隣に新工場建設を計画、KAZの滞在中に工事が進行していた。ことあるごとにウイリアムは「KAZ!景気が悪すぎる!新工場が出来上がったら、すぐどこかのスーパーマーケットにでも転売する羽目になりそうだ!」とぼやいていたという。

尚、 この時代背景やマーガレット・サッチャー を知るにはメリル・ストリープ主演の映画『鉄の女の涙2012年)』を是非ご覧いただきたい。
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KAZの靴の聖地・漂流記XI

今回も靴メーカーの体制というか制度の話の続きです。

 日本にも労働組合があるとおり英国にもユニオンと呼ぶ労働組合が存在する。ただ大きく違うのは、会社ごとにあるのではなく、職種ごとにあるという点。つまりバーカー社の中には、裁断者組合とか縫製者組合とか様々な職種によって数種類の組合員が働いているということになる。給与制度も大きく違っている。ほとんどのメーカーは、ピースワークシステムと呼ぶ給与体系を使っている。これを分かりやすく説明するとどんな作業にも単価が決められている。例えば革の裁断一つとっても、形・大きさ・カーブの度合いなどからそのパーツ、1枚を裁断するといくらという具合に決められているのだ。さらに作業者のスキルの度合いに応じて各作業者が持ち点を持っている。一つの作業を何個こなし、その作業者の持ち点と掛け合わせると賃金が算定される仕組みになっている。

一般作業者の給与は、週払いだ。先週稼いだ賃金分が翌週の金曜日には支払われる。一般作業者といったのは、もう一つ違う体系があるのだ。主に管理者になる。こちらはなんと年報制になる。『ヨーロッパは階級社会が色濃く残っている』と耳にすることがあると思うが、ここにそれが見て取れる。一般作業者はブルーのコートを着ており、管理者は白いコート、つまり白衣を纏っている。

ここで感のするどい人は気が付いたと思うが、『この賃金体系だとどのようにして品質管理をするのか?』ということだ。一般作業者は稼ぐ為にひたすら数を追う、つまり品質は二の次になってしまう。なのでホワイトカラーの管理者がひたすら品質管理に徹することになる。英国が検査第一主義で生産を行う理由はここに隠されている。日本のように社員全員がQC(クオリティコントロール)をするということは考えられない社会なのだ。

こんな都市伝説を聞いたことはないでしょうか?

ある大富豪がロールス・ロイスに乗って砂漠横断の旅にでました。砂漠の途中でクルマが故障してしまいます。仕方なく、大富豪は、何かの場合に備えてあった無線機を使ってロールス・ロイス社に連絡しました。「砂漠の真ん中で故障してしまった、修理をお願いしたいのだが」と。その後ヘリコプターが飛んできました。ヘリコプターが新車のロールス・ロイスとキーを届けにきたのです。そして故障した方は持ち帰りました。大富豪は非常に感激し、その後砂漠横断を遂げて、感謝のためロールス・ロイス社に連絡します。すると「お客様、何かのお間違えではありませんか?わが社のクルマは壊れません」と言われたという話。

そのロールスロイス、検査員も人ですから、見逃がしも当然あります。それが0.01%の見逃しだとしたら検査をダブルにする。結果見逃しは限りなくゼロに近づく。英国は検査第一主義の国である。

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KAZが修業していた頃の旧バーカー社正面

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅹ

ダイジェストの2話目は、靴メーカーの体制というか制度の話です。

 基本、英国では経営者が相当の財産を有する資産家であるということ。日本のそれとは規模が違います。具体的に言うとB/S(貸借対照表)の自己資本比率が違ってきます。日本の会社のように借金漬けではありません。約束手形なども存在しないので、信用売りになります。商売の流れとしては、卸会社(問屋)が介在する例もあまりありません。あまりといったのは、大規模な倉庫(超特大)を持ち、毎日デリバリーをしているといった流通業に特化した会社は存在します。それ以外は、メーカーがストック(在庫)を持つことになります。その為にも自己資本が厚くないと無理なのです。営業マンについては、会社お抱えといったタイプは少なく営業代行、つまりセールスレップを使うケースが多いんです。彼らは、靴業界の中から2社から4社と契約を結び、各エリアに分かれ売り歩きます。もっと分かりやすく説明をすると紳士中心のメーカーとレディス中心のメーカー2社と契約し、それぞれのシーズンに合わせた片足サンプルを借りて自分のテリトリーの靴小売店を巡るのです。バンタイプの車の後ろ窓に『トランクの中身は片足の靴ですよ!』と張り紙して盗難を防いでいます。

 ついでに靴小売店側のことも伝えると、大抵の靴店は取引を23社としか行っていない。日本の靴屋さんのように様々なブランドが揃っているということはまずない。理由は、気に入ったメーカー、信頼できるメーカーとの太く長い商売を尊重しているからである。また、それは日本とは違うお客の要望に応える為には、サイズを豊富に揃えなければならないという大きな理由がある。デザインの品揃えよりもサイズ揃えの充実が求められるからだ。大都市には一つのブランドしか扱わない店をたくさん見かけると思うが、小さな町の小さな靴屋さんにしてもそうなのだ。結果、ショーウインドウに飾ってある商品しか置いておらず、店の中には靴箱が積まれているだけということにもなる。一日中、靴を履いている欧米のような靴先進国の国と脱ぎ履きを頻繁に繰り返す国では、靴のサイズに対する意識が違う為と推察される。

 その為、メーカーと小売店の関係にもデリケートな問題が発生する。メーカーが提案する新商品によって売り上げが左右されることから、好調な時は別段問題は起こらないとしても、売りが止まってしまうと小売店側からは、「今回のメーカー側のコレクションが悪いからだ!」と難癖をつけられることになり、支払いがスムーズに行かなくなるケースもあるようだ

Katarogu

各年のカタログ

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅸ

ここまでの話は、英国滞在たった4日間の出来事です。4日間を語るのに8章も使ってしまいました。このペースでは、とても1年は語れないのでこれからはギアを上げ、トップスピードで語ってもらいましょう。項目に分けてのダイジェスト版に突入です。

 

まずは英国バーカー社についての話です。

1880年に初代アーサー・バーカー氏によって創業されました。『リアル・シューマン』(本当の靴男)と呼ばれた3代目のアルバート・バーカーは、一日中工場に立ち、生産状況を見て回り、気に入らない品質だったりすると靴を投げ飛ばして烈火のごとく怒ったという逸話が残るほど、靴作りに情熱を傾けた人です。当時はアメリカのチャールズ・グッドイヤー・ジュニアにより、次々に製靴機械が発明され、手製から本格的にグッドイヤー・ウエルト製法に変わる時代でした。研究熱心だったアルバートは、その製法に飽き足らず、更に改良を加え、バーカー・ウエルト製法と命名しました。(尚、この詳細については、企業秘密になりますのでこれ以上は触れません。)この3代目の活躍により、本場ノーサンプトンでも代表的なメーカーとなりました。

加えて述べるならば、当・宮城興業にアンダー・ライセンスの許可を与えたのもこの3代目アルバートバーカーであります。招聘により単身渡日、3日間に渡って、工場をつぶさに見、最後に『技術的にはまだまだだが、日本人がこれほどまでにまじめに働くことに感銘した!』との言葉を残し、技術供与に踏み切ったのでした。それ以来、2社は親戚付き合いとも言えるほどの良好な関係を続け、宮城興業の技術を構築する上での礎を作ることとなったのでした。

Photo 三代目アルバートを中心にバーカーファミリー
 

現在でも頑なに守り続けている宮城興業の靴作りの哲学『上質な革に勝る素材なし、熟練された職人に勝る機械なし』もバーカー社3代目・アルバートの教えです。

KAZの面倒をみた4代目ウイリアム・バーカーは先代とはタイプが違いました。一言で表すならばやはり『ボンボン』です。男前で饒舌、センスもいい、女性が大好きなプレイボーイでもあります。仕事では、主にデザインとパターンをこなしました。絵の才能もあり、ひと筆で見事にデザインを描いていきました。気さくな性格の為、社員にも人気がありました。残念なことに、経営者として一番力を発揮しなければならない時、英国の経済は最悪な状況を迎えておりました。その厳しい時代を乗り切れる経営者としての才覚や気力を果たしてウイリアムは有していたのか?この結末は後日改めて語ることにしましょう。

KAZが滞在していた、1985年当時確かにバーカー社は英国ではチャーチ社と双璧と呼ばれる地位と名声を保持していました。その証拠にロンドンの有名百貨店ハロッズの靴売り場の中心に大きな柱を挟んでチャーチの靴とバーカーの靴が陳列されていたのです。

インターナショナルなデザイン

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日本であまり知られていない理由を挙げるとすれば、バーカー社の主な輸出先が、カナダやオーストラリアといった英連邦であり、ドメスティック(国内)用にデザインされた、いわゆるインターナショナル的な靴も多かったのです。その為、コンセプトがぶれてトラディショナルなデザインに特化していたチャーチのように、特徴を求めた日本のファッション業界には受け入れられなかったと考えられます。どれほど会社であったかを知る根拠としてKAZがまだ日本での修業していたころに世界の靴事情を知る重鎮から「大変失礼ですが、よく宮城興業さんごときが、

かのバーカー社と提携出来ましたね?」と言われたことがあるそうで、ごときという言葉は失礼だと思えるのだとかが、その言葉が示すように世界的に見て、規模や品質といった点でその頃のバーカー社の実力を知る上では重要な証言ではないだろうか。

(のバーカー社と提携出来ましたね?」と言われたことがあるそうで、ごときという言葉は失礼だと思えるのだとかが、その言葉が示すように世界的に見て、規模や品質といった点でその頃のバーカー社の実力を知る上では重要な証言ではないだろうか。

To be continued


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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅷ

 早速の『レズリーに嫌われない作戦!』の失敗に気落ちしていたKAZであったが、そうばかりもしていられない事情があった。キッチンでレズリーが夕食を作り始めていたのだ。

 『やばい!レズリーが折角作ってくれている料理を今までのように食べられなかったら?』そう考えると気が気でならなかった。『レズリーに嫌われない作戦2!』を実行しなければならなかった。英訳辞書を調べると、『食欲はAPPETITE(アペタイト)、小食はSMOLL APPETITE』とあった。早速キッチンに降りていって、レズリーに向かって

「ハイ!レズリー!」「アイ アム ア スモール アペタイト」と言ってみた。

はじめレズリーはキョトンとしていたが、察したのか「OK!OK!」と納得したようだった。

これでいつものように食べられなくても『不味くて食べられないのではないよ!』となんとか事前に手を打てたので『レズリーに嫌われない作戦!』実行中のKAZは意気揚々と自分の部屋に引き上げたのだった。--尚正しくは『I have a small appetite』だったようです。--

 それから30分程すると、下の階から「サパーズ、レディ」(夕食の準備出来たわよ!)と大きな声が掛かった。--英国ではちゃんとした夕食もディナーではなくサパーと呼びます

 その日の夕食のテーブルは4人で囲んだ。ウイリアムとレズリーと私ともう一人、長男のアンドリュー。(3人いる息子のことは後日お話しします。)まずは夕食の中身です。大きめのお皿の上には、メインのお肉。煮込んでありました。添え物ようにマッシュポテト、芽キャベツとインゲン。添え物が揃ったときにKAZは一安心しました。『ワオ!大丈夫。全然食べられない!とはならないようだ』と。ポテトが大好きなKAZは、お皿に多めに盛り付けての『いただきます!』となって。

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 この後どうなったと思いますか?やっぱり不味かった?

 実は、滅茶苦茶美味かったのだそうです。ほぼ四日ほとんど食べ物らしい食べ物を食べていなかったのですから!たちまち一皿目を平らげて、二皿もぺろり。その後に続いた『スイーツ』もおかわりしたというからKAZのスモールアペタイトはどこに行ってしまったのか?

 後から分かったのですが、レズリーはフランス料理の本と首っ引きになりながら、KAZの為に料理を作ってくれたのでした。

 To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅶ

 ウイリアムの家は、ホテルから10分程度のところにあった。100年以上の歴史を持つ建物で結婚を機にリフォームして移り住んだのだそうだ。広大な敷地で建物自体も小さなお城のようだ。門から入った家の前には、車が周れるスペースがあり、家の裏手には大き過ぎるほどの畑と牧草地が広がっていた。ウイリアムが言うには、これからの季節、この国では寒くもあり、あまり良いシーズンではない。ここでの生活になれるまで3ケ月ほどはここで一緒に生活すればいい。その間、一人暮らしが可能なフラットを探しておいてやる。

 正面の玄関から入るとすぐにキッチンとダイニングが一緒になった大きな部屋があった。そこにウイリアム夫人のレズリーが待っていた。

 金色の髪を持つ美しい女性だ。矢継ぎ早に発せられる言葉はどれも早口で聞き取れるものではなかった。ただ、ヨーロッパの人がよくする挨拶、あの両ホッペにチューをするやつを交わされた時にKAZはまた不安に襲われた。この奥さんにとっては迷惑な話なのではないだろうか?嫌われはしないだろうか?最低限嫌われないように常に良い子でいよう!

 その日から普段はスペシャルなお客様ように使っている一室がKAZ専用の部屋になった。バスタブまで完備したバスルームまで併設していた。日本を出てから久しぶりのお風呂。早速湯船に一杯のお湯を貯めて、肩までつかり疲れを取りながら、これからのことを考えみた。『ウイリアムのゆっくり英語があればなんとかなる!』『とにかくレズリーに嫌われないように、良い子にしていよう!』お風呂が大好きなKAZは、少しわいてきた希望でにんまりしていた。ホテル前の電気屋で買ったドライヤーで髪を乾かしているとウイリアムに呼び出された。1階奥の部屋まで連れられていくと小さなタンクを示しながらこう言われた。

 「KAZ!実は英国のお湯のタンクはこの大きさなんだ!お風呂に貯めるお湯はこのぐらいね!」と親指と人差し指で5cmぐらいの幅を示した。どうやらレズリーに早速注意するように言われたらしい。『レズリーに嫌われない作戦!』は、早々に失敗し、湧いたと思えた希望がまた消えていく瞬間だった。
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嬉しさのあまりの自撮り

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅵ

 ウイリアムとは四年前に東京で一度会っている。『英国に行きバーカー社で靴作りの勉強をしたい』とお願いしたところ、二つ返事で了承してもらった。あの時は、帝国ホテルのレストランで食事をご馳走になり、ドライマティーニを何杯も飲まされて、顔が真っ赤になったんだ。そういえば、英語に困らなかったのは、商社マンが同席してすべて通訳してくれたからだ。

 ドアを開くと満面笑みを携えたウイリアムが部屋に入ってくるなり矢継ぎ早に喋り出した。

Are You ok? Kaz!

Today, We go to my house!

Then, my wife cook for you!

矢継ぎ早とは言ったが、ひとつひとつの言葉か、とてもゆっくりであった。さらに、全てに身振り手振りまでついていたのだ。KAZは全ての言葉が理解出来た。34年経った今でも間違い無くこう喋ったと確信出来る程、明確な喋りだった。(当り前)

ウイリアムはそう喋りながらKAZの荷物(日本に帰る場合も想定し準備していた)を運び始めた。結局KAZは、『日本に一度帰って出直して来る』という言葉を発することも無くウイリアムに付き従うしかなかった。

 恐らくウイリアムは、会社スタッフからの『あの日本人、英会話が全然出来ていない』との情報をつかんでいたのだ。

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かつて日本を訪問した時のウイリアム

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅴ

   あっと言う間に四日目の朝をむかえた。日曜日の今日にはバーカー社・社長のウイリアムが帰国するはずだ。この間の食事の影響で頬はすっかりと痩せ落ちてしまった。相変わらず会話にも苦労していた。まだ始まったばかりの英国での生活。

『やっていけるのか?』

『迷惑をかける?』

『そもそも生きて行けるのか?』

様々なことを自問自答してみた。

『ウイリアムに会ったら素直に謝ろう!』

『考えが甘かったです。』

『会話が全く出来ません。』

『食事も合わないようです』

『一旦、日本に戻り、準備をし直してから、もう一度出直して参りたいと存じます。』

 KAZの決意が固まった。無理だった。この状況を打破する術(すべ)はない。無理。

 

辞書を念入りに調べて、言わなければならない事をひと通り書き連ねてみた。ただでさえ英語が出来ない彼である。重要なこの話はちゃんと伝わるのだろうか?

「昔から英語は苦手だったよ!」

「高校の時にも、英語の時間はいつも皆の笑い者だったなぁ」

drop in⇒立ち寄る と言う熟語を知らずに『立ち寄った時に彼は居なかった』という訳文を『穴に落ちて大変な時に彼は助けてくれなかった』と訳してクラス中の大爆笑をあびたこともあった」

元々英語に対するセンスが悪いのに勉強も嫌いだったから手に負えないKAZなのだ。

ウイリアムが現れたらスムーズに言えるように声に出して読んでみた。二度、三度と繰り返した。『情けない!』何故か涙が溢れた。

あれほど切望し夢をもってこの国まではるばるやって来たはずなのに、たった四日で逃げ帰ろうとしている自分に彼は無償に腹がたった。

『やはり意地でも帰れない!』

『いや?このままでは、生きてもいけない!帰らなきゃ!』

それぞれの思いが交差する中、KAZは一人ホテルの一室で途方に暮れていた。

その時、ドアがノックされた。ウイリアムが会いにやって来たのだ。
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バーカー社にある近くのアシュビー城

 

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅳ

 『英国人は食事に関心がない』とか『英国は食文化をあきらめた国』という言葉を後から聞くことになるのだったが、「質素な食事こそ、ジェントルマンのすべき食事である」とライバル心でフランス流を排除した歴史などもあって当時の英国での食事は本当に不味いものが多かったのだ。(現在はだいぶ改善されている)

 唯一、満足出来たのは『イングリッシュ・ブレックファースト』と呼ばれる英国流の朝食であった。薄く切った食パン(イギリスのパンはとにかく美味しい)のトーストに卵とベーコン、その他にベイクドしたマッシュルームやトマトが付くこともある。このメニューならほとんどの人が普通に食べることが出来るだろう。なにしろ他の料理が不味いわけであるからこの朝食をしっかり取るということが大事なわけで、この国で生き残る最低条件になるだろうということをKAZの本能は感じていた。

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 到着2日目には、『靴作りをおぼえるには、工程を期間ごとにこなして学ぶOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が好かろう』と早速、甲材(革)を管理する部屋へと配属になった。甲材室担当の若者ニールは熱心に仕事についていろいろ教えてくれるのだが、やはり言っていることの半分も理解出来ない。それでも先に進めないと思っているKAZはここでも「Yes!Yes!」と繰り返すしかなかった。

 その日から昼食は、カンティーンと呼ぶ工場の食堂でとることとなった。(カンティーンという単語も聞いたことがなかったのでこっそり辞書で調べたのだ)日替わりのメニューを見ていたニールが、「KAZラッキーだな!今日のメニューはライスだぜ!」(多分)と言われ「『ヘエ~、英国人って、ごはん食べるんだ?もしかして私を歓迎しての特別メニュー?』とか思ったり、『また、英語が出来ない故の聞き間違い?』とかとも考えながら取り敢えずカンティーンに向かった。

 給仕口に並ぶとまず小さなパンとスープがトレイに乗せられた、メインの料理はそれを食べてからということらしい。決して大きくはない食堂はそこで昼食を取る従業員たちでほぼ満席であった。空いていた2人掛けのテーブルの片方を見つけ「エクスキューズ、ミー。メイアイ」と、か細い声で問いかけると『どうぞ!』と身振りで促された。対面になった人は黒人の女性であった。KAZは人種への偏見はいっさい持っていなかったが、日本ではこれだけ間近に外国人を見ることはなかったし、ましてや黒人と向き合って食事する機会などあろうはずがない。

 「大変申し訳ないですけど、本当に食べられなかったです!申し訳ない」

KAZの話によると、どうやらその黒人の女性の顔には無数の痘痕(あばた)があったらしい。それを直視してしまい一気に食欲を失ってしまったのだ。

世界中にはいろんな人種の人たちがいて、それぞれ一生懸命に生きている。そりゃあ、黒人もいれば、顔に痘痕のある人だっているでしょう!情けない!東京で数年生活をし多少もまれて大人になったとは言え、所詮山形の田舎育ち、世間知らずの甘ちゃん!その程度のことでもダメージを受けてしまうなんて!

やっとのこと、パンをかじりスープで少しずつ流し込んでいるとメイン料理の準備が出来たと声が掛かった。皆一斉に取りに行き、KAZは一番後ろに並ぶことになった。メインの料理は何か得体の知れない煮込み料理だった。『あれどこにもライスが見つからない?』やはり聞き間違えたのか?まだまだ問題の残る英語のヒヤリングにがっかりとしながら、そのメインの煮込みを口に運んだ。それはレバーを煮込んだものだった。匂いといい、味付けといい、今まで口にしたことのない物だった。周りの人たちは会話を楽しみながら、平気で平らげていく。結局は、KAZはスプーンの半分ほどを口に入れただけで食べるのをあきらめた。

なんとかパンだけは残さず食べた(パンは美味しい)が、スープの半分と煮込みのほとんどを申し訳なさそうに給仕口に運んで行くと『情けない男ね!』的な目を食堂のおばさんから向けられながら、白い小皿がトレイに乗せられた。

「お粥だ!」KAZは思わず叫んだ。ちゃんとライスが出たのだ。

聞き間違えではなかったことにほっとしながら一口食べてみた。

「これが、ビックリ!です。甘いんです。砂糖味なんです!」

KAZはこの時、はじめて『スイーツ』となる言葉を聞いた。それまでは食後の甘い食べ物は『デザート』と呼ぶのが普通であった。英国の伝統的なスイーツ、『ライス・プディング』との出会いであった。 
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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅲ

体はへとへとに疲れているはずだったが、極度の不安でとても眠れそうにもない。KAZは、仮眠を取るのをあきらめ、まず風呂に入ることにした。バスルームの扉をあけるとバスタブは無くシャワーだけ、ドライヤーの設備もなかった。一年間の生活の為、トランク2個と大きめのバッグを持参してきたが、電圧のことも考え、電器製品は持参していなかった。

 ホテルの窓から外を覗いて見ると通りを挟んですぐむかいに電気屋があった。手ごろな値段で売っていたドライヤーを買い求めてホテルに戻り、シャワーを浴びて使おうとしたら、なんとプラグが付いていなかった。3色のコードの先に電線がむき出しになっていた。仕方なく濡れた髪のままもう一度電気屋に戻り、電線先を指さして、「ウー、ウー」と唸ったら店員が笑いながら取り付けてくれた。英国の電圧は3相220-240V周波数は50Hz(日本の電圧は100V)だ。シャワーを浴びてすっきりすると、今度は小腹が空いてきた。また窓から外を覗くと近くにハンバーガーショップの看板が見えた。

店の作りは日本となんら変わらない。

「ただ驚いたのはさすが英国人。ハンバーガーを礼儀正しくフォークとナイフを使って食べてんだよ!」

 KAZは英国ではシステムが違うと思ったらしい。すぐにカウンターで注文するのではなく、レストランのようにまずは椅子に座っておとなしく注文を待つことにした。

 「ところが、何分まってもオーダー聞きに来ないのよ?」

結局、自分の思い込みと間違いに気づいてはみたものの、何となく腹立たしさを覚えて何も食べずに店を出た。「まあいいや、どうせ夕飯はフレッドと一緒に腹いっぱい食ってやる」(多分)と気を取り直し、やっと浅い眠りに就いた。

 夜の5時にはKAZはスーツに着替えてホテルの部屋でフレッドを待っていた。何せ英語で話している言葉を理解していない。「パードゥン」(もう一度お願いします)はせいぜい2回までと決めていた彼は、相手の言葉が分かっていなくても多分こんなことを喋ってるんだろうな?ぐらいの勝手な予測を立てて、分かったふりを装わないと先に進めなかったのだ。だから今日の午前中、工場のスタッフからホテルまで送ってもらった時に、「夕食はフレッドがご一緒しますよ」(多分)と言われたんだろうと、半分は来ないかもしれないという保険の気持ちを掛けながらも、来た時の為に早々と用意しなければならなかった。はたして7時ちょっと前にフレッドは現れた。『良かった、聞き間違えではなかった』という思いと腹がペコペコに減っていてやっと食べものにありつける喜びで一杯になった。

Photo_2

フレッドとその家族

 

 食事は、ホテルの小さなレストランで取ることになったが、ウエイターから手渡されたメニューを見ても注文出来るはずもなく、困った顔を作って注文のほうはフレッドに任せるしかなかった。「日本人だから魚が好きでしょう?」(多分)と言われ本当は魚は苦手で肉の方が全然良かったのだが、言い返すことも叶わず、「Yes!」と小さく答えるしかなかった。最初に運ばれてきた、スープとパンまでは良かった。だがメインの魚がテーブルの上に置かれたとき言葉を失った。(ずーっと失ってるんだけど)

「あのね!あんな食べ物あります?金魚!金魚!金魚のから揚げです。30匹ぐらい!皿一杯に!」

KAZは、その得体の知れない小魚を半分ほどかじってはみたものの飲み込むことも出来なかったという。さすがに金魚ではなかったらしいが、小魚の姿揚げ的なものがてんこ盛りで出てのだとか。結局KAZは、腹ペコのまま第一日目の夜は寝ることになってしまったのだ。

 

 

To be continued

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅱ

 「あれは198510月の確か24日だったかな?僕はロンドンのヒースロー空港の入国審査でさっそくトラブルに巻き込まれたのさ!」

出発前に英国滞在が長い商社マンに入国の際は、「Just sightseeingとだけ答えなさい」と再三アドバイスを受けていたのにもかかわらず、カッコつけて「靴作りを学ぶ為の留学」とか言ったものだから、審査員から英語での矢継ぎ早の質問攻めに遭い、何を聞かれているのかも一切分からず、その場に立ち往生する羽目になってしまったのだ。そこに居合わせた親切な日本人が通訳を買って出てくれた御蔭で、なんとか1ヶ月の滞在は許されたものの観光で入国していれば簡単に6ヶ月貰えたものを後々余計な手続きを踏まなければならないように自らしてしまったのだった。

「英国という国は、観光客には優しいけれど、大勢押し寄せてくる留学生とか移民には厳しい国でさ」

KAZは、自分の英語力の無さと先輩からのアドバイスを聞かなかった過ちを棚に上げて英国滞在1日目の初端の出来事を語るのだった。

 「ところがそれだけでは終わらない。1日目にして、はたしてこれからここで生活していけるのかと?頭を抱えたよ!」

 空港から工場までの1時間ほどの道程で迎えに来てくれた部長のフレッドと運転手の会話を必死で聞き取ろうとしたが、まったく聞き取れず、工場に着くとすぐに案内をかってくれた若手企画マンのスティーブの説明も何を喋っているのかまったく分からなかったという。KAZは、靴作りの工程はどこも似たものだからだいたいこんなことを言ってるんだろう?と「Yes!Yes!」を繰り返すしかなかった。

 社長のウイリアムは、どうも魚釣りでカナダに出かけて4日後に戻るということらしく、帰るまでは近くのホテルに滞在することとなった。「着いたばかりで疲れてるだろうから」(多分)とまだ昼前の時間だったが、スタッフがホテルまで送り届けてくれた。「夕食はフレッドと一緒に」(多分)ということだった。

 部屋に入って、一旦荷物の整理を終え、ベットに横たわり少し仮眠を取ろうと目を閉じると、急にとてつもない不安が襲ってきた。初めての海外、初めての飛行機の旅、不安と緊張の連続であった。当時、日本からヨーロッパに向かうには、アンカレッジ経由の北回りか香港やシンガポールを経由する南回りかの選択しかなく、現在のようにロシアの上空を飛ぶ直行便はない。価格の安さを(当時オープンリターンで25万円)優先し南回りを選択したKAZは日本からロンドンまで28時間にも及ぶ長旅であったのだ。
Jpg

初めての飛行機、シンガポール航空 

To be continued

 

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KAZの靴の聖地・漂流記Ⅰ

 2015年7月2日、イギリス・ロンドンから北西100キロほどに位置するノーサンプトン州のアールスバートン。その小さな町の中央に立つ教会の裏手500㍍ほど行ったところに共同墓地はあった。30年ぶりに訪れた第二の故郷。KAZにとっては、後悔してもしきれない、あまりにも遅すぎた墓参であった。

あれだけ切望して叶えた英国への留学。しかしその期待とは裏腹に打ちのめされて現実を突きつけられた過去。自分の未熟さと実力を思い知らされ、それがトラウマのごとくKAZを襲い、時には夢でうなされることもあった。それでもなんとか自分を奮い立たせて帰って来た。彼の心を癒し、再び英国の地を踏むためには長い時間が必要だったのかもしれない。

手向けるために立ち寄った花屋さんから聞いた場所を探してみると、確かに聞いた通りのお墓が目の前に現れた。

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墓碑には、ウイリアムバーカーの愛の記憶

シューメーカー

199641258歳で逝去

と記されていた。

 

周りに人影がいないことを確認すると、抑えた声でKAZは語りかけた。

「ウイリアム!もっともっと早く来なければならなかったのに、こんなに遅くなってごめんなさい」

「英国滞在中に貴方から受けたご恩は一日たりとも忘れたことはありません」

「本当にお世話になりました」

「そして貴方から学んだバーカー社伝統の靴作りの哲学、そして技術」

「そのおかげで、私はなんとか今も靴を作り続けていられます」

「これからも貴方の教えを、出来るだけ多くの人に伝えていきたいと思います」

「本当にありがとう」

そう言ってしばらく墓前で、当時のことを思い出してみた。たくさんの楽しい思い出があったはずであるが、何故だかKAZの顔は泣き顔になってきた。もちろんウイリアムのことを思い出したからではあったが、それだけではなかった。そしてKAZは呟いた。

「ウイリアム!198510月から1986年までまる1年間。僕はここに滞在しましたよね!」

KAZは、滞在したという言葉に違和感を感じていた。

 

「滞在じゃない、僕は漂流していたんだ!」

KAZの1年に亘る靴の聖地での生活は、

滞在と呼ぶにはどれほど過酷なものだったのだろうか?

 

To be continued.

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新年度の決意

皆さんこんにちは。宮城興業(株)社長の高橋でございます。
日頃より、当社製品をご愛顧いただき誠にありがとうございます。
タイトルにもあるように今日から当社は新年度になります。
そうです、決算日が11月末日。
というわけで本日は多くの社員が出てきて棚卸をしているところです。
ところで当社は創業から77年を数えましたが、株式会社として設立されてからは
昨日で66期を終え、本日より67期目を迎えることになります。
実はここ2年は非常に厳しい環境におかれており
残念ながら売り上げを落とす結果となっております。
バブル経済の崩壊もリーマンショックも厳しいものがありましたが、
正直、今が一番きびしい感じがいたします。
一般消費者の革靴離れが緩やかに進行している気がいたします。
このままじり貧になることを経営者として看過するわけにはまいりません。
新年度にむけて決意をあらたに、戦略・戦術を駆使して攻めていく覚悟です。
今年9月には、ノルウェーの有名靴店に輸出をはじめ
当社ブランドが初めてヨーロッパで展開するはこびとなりました。
日本国内はもちろん世界中で愛される靴を提供出来るよう今後も精進してまいります。
てなわけで、私の靴作りの原点でもある
靴作りの聖地、英国・ノーサンプトンシェアーにある
バーカー社での1年間研修した経験を今一度思い出す。
そんで、この苦境に負けない強い心を呼びもどしたいと考えちゃったんです。
Photo
「え?何を言いたいのかさっぱり分からない?」
はい、その通りですね!
近々、英国滞在記をこのブログにUPしますという告知でした。
誰にも読んで貰えないかもしれない、
かな~り長い読み物になりそうです。

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