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KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編1

 

 この拙い文章を読んでくださっている方々は、賢明な方たちですので、すでに百も承知であることは、合点承知の助でありますが、改めて発表します。

 

『KAZは』などと三人称を使っておりますがKAZ=自分のことです。

 

そんなの疾うに分かってるって!ハイそうでした。

 

 でも何故三人称にしなければいけなかったか?KAZの気持ちを考えたことはありますか?そうです、そこが問題です。そして普通に『滞在記』でよいものをわざわざ『漂流記』とした訳をもう少しお話させていただければと思っているのです。そんなことで英国から帰国してからのKAZの話を続けます。

 

Photo

 

 


 

 KAZが英国から帰ってきて1番初めにしたことは、近くの薬局に行って白衣を買ってきたことだった。KAZらしく、まずは格好からということでした。完全に英国流にかぶれていたのです。親父が経営する会社に戻り、工場の中を白衣の裾をひるがえして歩き、各工程の職人たちには聞いてもいないのに得意げに「英国ではこうするんだ!」と言って回り、ベテランの職人を白けさせていたのです。取締役会でも、「いつまで下請けに甘んじてるんですか?いつ仕事を切られるかわからないんですよ!」とか、人の意見に対しても「だから駄目なんですよ!」と発言し、「じゃあ、どうすればいいんだ?」と聞かれると、実は具体的な改善策など持ち合わせもていない。「本場の英国ではこうでした!」と答えるのが関の山だったのでした。

 

社長である親父にも「お前変わったなあ!」と言われる始末。この『変わった』発言は決して良い意味で使った言葉ではありません。父親からすれば、大人しくなんでも言うことを聞いて、可愛いかったはずの我が息子が1年間の英国生活で変に生意気になって帰って来た、つまり悪く変わったということなのでありました。

 

社員たちからも完全に浮き上がった存在になっていました。もちろん誰も面と向かっって直接何か言う人はいなかったのですが、蔭では『あのバカ息子』という囁きは上がっていたのでした。KAZは、そいな雰囲気が会社に漂っていることは重々感じてました。しかし、敢えて気に留めないようにしていたのです。『自分が悪いんじゃない!自分の成長を認められるのには時間が必要だ!だって自分だいぶ先行ってるし!』と思っていたのでした。1年間で完全に英国にかぶれ、英国第一、英国原理主義者と化していたのでした。

 

 

 

 次にKAZが取り組んだのは、『バーカー社で作っている靴そのものずばり』を作ることでした。その為には、材料すべてを英国から取り寄せる必要がありました。残念ながら当時の日本では、同品質のものを調達することは出来なかったのです。ラスト(靴型)を削り、パターンを作り、すべて本家バーカー社の英国流で作ってみました。ほぼ満足いくものが出来たのです。KAZは出来上がった靴を「これが本物ですよ!」言って、みんなに見せては自慢していたのです。これで少しは自分を見直してくれるだろうと悦にいっていたのです。そして早速、量産して販売に繋げようと見積をしてみたのでした。驚愕の結果が出たのです。なんと英国バーカー社で作った靴をそのまま輸入した場合の1.5倍の価格になっていたのでした。

 

 

 

補足 英国の通貨はポンドですが、大英帝国時代は基軸通貨でした。今はその座をドルに奪われてしまいましたが、1964年までは、固定為替で1ポンド1,008円だったそうです。KAZが滞在していた1984年から1985年当時は360円程でしたが、その後は円高が続き数年後には240円程度になっています。一方、日本はバブル絶頂に向かっている時期でもあり、人件費なども世界最高水準に達していました。オックスフォード大に客員教授として招かれても年俸が安くてとても行く気になれないという人が出るほど為替が大きく変動していた時期です。なので靴の見積の件も為替の変動が多きく影響しています。

 

 

 

To be continued

 

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