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KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編6

帰国後のKAZの話を続けます。

ファクトリーショップでのオーダーの商売での失敗などを経験しながら、今後の会社の将来のことを考えながらも、通常は目の前の仕事に追い立てられるKAZであった。その頃の日本はバブル経済に踊らされ、最盛期を迎えていた。会社の経営状態も万全でもちろん下請けの仕事も順調そのもの、OEMの仕事の中でもゴルフシューズの受注が好調で売上全体の3割までになっていた。その当時はまだ革底のクラシックタイプが主流だったのである。KAZの会社では、ゴルフ用品販売大手のカタログの靴のページのトップを飾る高額な靴の多くを製造していた。価格は5万円程だ。そして次なる要求は、いかに高い靴に仕立てることが出来るかであった。なのでウミガメの革(ワシントン条約で制限)を使って10万だとかオーストリッチで30万~50万とか意味もなく高いものを作ることになった。何故か、土地を転がして莫大な利益を得た客が商品を見もしないで「一番高いものをくれ」と言っていたからだ。そんな風に日本全体がバブル経済に踊らされていた時代である。

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この時期は、洋服にしろ靴にしろ金額もさることながら量的にも売れた時代だ。バーゲンになれば、一人で5足も6足も買っていく。『足が何本あるんですか?』『もしかして靴屋さん?』と言いたくなるほど皆が、平気で買っていく、まさにバブル経済だったのだ。

この頃は、円高の影響で日本人はブランドものや高級品を買い漁っていたので、海外からは、お金持ちの国日本は重要な輸出先と目されるようになっていたのだ。靴業界の展示会も派手に行われており、ヨーロッパ各国からの出展があった、幕張メッセで行われた総合展に英国メーカーのコーナーが作られることになった。バーカー社の靴の輸入に一役買うつもりになっていたKAZは、勇んで駆けつけ会期中は、終日バーカー社の小間で手伝うことにした。英国からは、バーカー社をはじめ、トリッカーズ社、チーニー社、サージェント社、などが出展しており、KAZは英語もろくに出来ないくせに各社の通訳までしなければならなかった。残念ながら、会期中バーカー社では、1足も注文が取れなかった。原因は、為替の影響で大分安くなっているとはいえ、やはりバーカー社の靴はまだ価格が高かった。まだ高級靴といえばイタリア製のブランドもので英国製ので名前が知られているとすればチャーチ程度、本格的な靴の需要はあまりなかった。但し、ファッションとしての感性に磨きをかけているセレクトショップのバイヤーなどは、トリッカーズの小間に押し寄せ、比較的価格のこなれているチーニーやサージェントの靴には注文を出していった。KAZは、この結果に長い間、提携によるブランド生産をしてきてそのブランドを広めることの出来なかった我が会社の責任と肩を落とすのだった。

 

補足 この英国からのセールスマンの滞在中、アテンドをする立場として、夜の食事の場所などのも案内することになった。考えた末、一日目はしゃぶしゃぶ、二日目は焼き鳥にした。英国滞在中に英国人の味音痴ぶりには辟易していKAZなので、「なんだこれ?食べられるもんじゃない!」とか言い出すんではとハラハラしていたが、両方とも大好評だった。彼らはその後も何度か来日したが、毎回同じところに連れていって欲しいとせがまれるほどのお気に入り料理となった。

また、彼らに驚かされるのは、そのタフネスぶりであった。60歳前後の面々なのだが、靴のサンプルの入った大きいスーツケースを2個と滞在中の私物の入ったこれまた大きいバッグを肩から掛けて、どこにでも自ら運んで移動するバイタリティーがあった。体力に自信のないKAZは、「このぐらいでないと世界では戦えないな!」と感じた瞬間であった。

To be continued

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