« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年2月

有効活用12

こんにちは。

今回は「コインケース」第2弾です♪

Img_0938_2
  お花・ちょうちょのチャームが付いた
  かわいい「コインケース」
  幅広い年代の女子に人気です☆

  アクセサリーや薬など、ちょっとしたものを
  入れても (v^ー゜)





Img_0939 
  
  こちらはチャームの付いていない
  シンプルな「コインケース」


  男女問わずお使いいただけますよ☆

| | コメント (0) | トラックバック (0)

有効活用11

こんにちは。

今回は「コードバン靴べら」の紹介です。

Img_0929_2
  「コードバン靴べら」

その名の通り、コードバン(馬のお尻の革)を

利用した靴べらです。

上品な光沢があって素敵です☆




以前ご紹介した靴べらより小ぶりで、

キーホルダーとしてお使いいただくのもおススメです♪




| | コメント (0) | トラックバック (0)

有効活用10

こんにちは。 

今回は「ペンケース」の紹介です。

Img_0918_2

     「ペンケース」 

 

 ホックボタンで開け閉めできるシンプルなデザインです。
 

 厚みのないスリムなペンケースですが、 

 一般的な鉛筆・ボールペンなら 
 
 10本は入りますよ☆
 
 
 落ち着いたカラーで
 どなたにもお使いいただけます♪

 



   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

有効利用9

こんにちは。

「有効利用8」から、ちょっと間が空いてしまったので
これまで紹介した商品をもう一度紹介させてくださいね♪

Img_0908_4

「コインケース」

「靴べら」

「ねこちゃんキーホルダー」



Img_0911_6

「ポケットチーフ付カードケース」

「カードケース」





Img_0912_4


「絆ベルト」









宮城興業の定番人気商品です☆

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「IN DA MASHE」

こんにちは。
今日は、宮城興業の革小物のロゴを紹介します。
 

Img_0897_2  

「IN DA MASHE」

今月誕生しました!
”イン・ダ・マッシェ” と読みます。

意味は、
標準語で「もったいない」
この辺りの地域の方言で「いだましぇ」です。
 
その方言をもじりました(゚▽゚*)


次回より、その革小物を紹介していきます♪

お楽しみに☆

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タフスタッフからのご挨拶

こんにちは。

宮城興業㈱の革製小物を担当しております渡辺です。

Img_0876_11

本社すぐそばの建物「Tuff Stuff」にて、革・革小物を販売しております。

靴の製造過程で出た端材を利用していますので
リーズナブルなお値段でお求めいただけます。

   平日 9:00-17:00 OPEN

   のぞきにいらしてください。

   お待ちしていますヽ(´▽`)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

MICAMに出展中

 HPのトップページ下のINFORMATIONでも告知しておりますが、イタリア・ミラノで開催される世界的な靴の展示会MICAMに出展しています。
1549928417673 会期は、2月13日まで!
日本からは、当社出身のH・ARAIはじめ当社を含め9社の出展です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、完結編

 と言うわけで本当にこの章で最後にします。気が付いてみると書き綴ったこの駄文、数えてはいないので正確には分かりませんが、おそらく8万字を超えているのではないでしょうか?1冊の本に出来る数字です。とは言っても絶対しませんが!書いている一番の目的は、『いつか?社員に読んでもらいたい!』ということ。以前に『宮城興業の隠された歴史』と題して挙げた創業者・高橋明良の物語にしろ今回の漂流記にしろ、70数年という会社の歴史を少しでも知っていて欲しいという気持ちから書いています。

 

 残念なことに社員たちは読んでくれていないようです。先日、ひとりに「読んでる?」と聞いたところ

 

「長すぎて、読む気にならない!」と衝撃の返事が返ってきました。

 

本当に残念です。人は歴史から多くの物を学べる。そしてその会社に勤務する社員であれば、その会社の歴史に潜む様々な事象を知ること、もしかしたら次の時代を生きるための重要なヒントになるかも知れないのに!です。チコちゃんじゃないが、本当に

 

「ボーっと、生きてんじゃないよー!」と叫びたいです。 

 

 

 その点、このブログの数少ない読者の皆様!この拙い文章をお読みいただき、またそこから何か掴もうとする姿勢。すばらしいです!(パチパチパチパチパチパチ!)

 

 

 

 さあ!まとめに入りましょう!KAZの漂流記最終章。

 

KAZの1年間の英国での生活を滞在とは呼ばず、漂流と呼ぶ気持ちは十分お分かりいただけたと思います。では、帰国後の30年についてはどう思われますか?せっかく苦労して掴んだ経験や知識、それを活かしきれずに悶々とする日々。経営者の端くれとして満足な補佐もできず、経営者に就いて最初の仕事がリストラという自慢できない事実。

 

Photo

 

 


 

ただ、受け継いだ会社を潰してはならないという使命を自分の天命と言い聞かせて戦う日々。しかし、会社を存続させる為とは言え、生き残る為とは言え、多くの犠牲がそこにはあった。生き残る為というのは、ただ自分のことを考えただけの欺瞞に満ちた言い訳ではないのか?ただの偽善ではないのか?

 

バブル経済崩壊以降、日本の多くの中小企業は、苦しい経営状況の中にある。KAZが帰国してからの30年のほとんどが、崩壊後の失われてしまった時間の中にある。日本の経済は衰退の一途なのか?もう一度輝きを取り戻すことはないのか?

 

 KAZは会社経営を船の航海になぞらえる。KAZの会社は、70数年の歴史の中で何度となく難破・座礁・沈没の危機を乗り越えてきた。KAZが帰国してからの30年は特に酷かった。大きなとても大きな荒波が何度も襲ってきた。舵が利かなくなることもあった。荒波の合間に多少凪いで静かな海の時も確かにあった。でもその時でさえ、安全に航行出来たわけではない。壊れた船を必死で直すので精一杯だった。だから一瞬たりとも油断は出来ない。あのタイタニックだって沈没してしまったではないか?なおさら小さい船(小さい会社)に安全な航海なんて無理と諦めている。

 

 だから必死で舵を握り、必死で櫂を使って漕がなきゃいけないんだ!安全な航海なんて諦めて、漂流でも構わない、必死に舵を握り、必死に漕いで沈没だけは避けて、流されながらも目的地めがけて進むんだ!

 

 

 

 あまり知られていない事実だが、日本は革製品や革製靴をずっと大切にしてきたお米と同じように保護してきた。つまり簡単には、輸入出来ない仕組みで守って来ていた。しかし、グローバル化が進み、各国からの貿易自由化の声が高まるとともに、それを続けるのは難しい状況になっている。数年前よりTPPの交渉が始まり、アメリカは離脱してしまったが、現在は、ついに発行され関係国間の自由貿易が始まった。またその一方で進んでいた、日本とEUとの経済連携協定(EPA)の協議も終わり、今年2月1日、発効の運びとなりました。今後は、誰もが自由に輸入できることになり、関税についても10年をめどに撤廃されることになっています。

 

Photo_2

 

 

 

 

 

これらのことを踏まえ、KAZの会社では、10年ほど前から輸出に向けての取り組みを開始した。戦略的に『必死に守ることと果敢に攻める」ことが重要と考えたからである。攻めることは、守ることにも繋がる。

 

 

 

現在、カスタムオーダーの海外取扱店は

 

アメリカ・カナダ・オーストラリア・シンガポール・中国・韓国の6ヶ国に!

 

今年中に香港にも1店舗増える予定(パチパチパチパチパチパチ!)

 

念願だった、ヨーロッパについては、昨年、パリやミラノでの展示会出展を契機に

 

ノルウェーの店舗へ、社名を冠した既成靴「MIYAGI KOGYO」の販売を成功させることが出来た。

 

このお店はSkomaker Dagestadスコマケーダゲスタッドといおうノルウェーのオスロにあるお店です。

 

スコマケーといのは靴店という意味でダゲスタッド靴店ということになります。

 

世界中の銘靴をセレクトしている名店です。(パチパチパチパチパチパチ!)

 

下記がお店のHPになりますので、一度是非覗いて見てください。

 

https://skomakerdagestad.no/

 

 

 

さあ!こらからもKAZをはじめ会社では、必死で漂流を続けなければなりません。グローバルともなれば、世界が相手です。これからはもっと大きな荒波が襲ってくるでしょう!

 

そう!『必死で舵を握り続けます!必死で櫂を使って漕ぎ続けます!』

 

 

 

これからの宮城興業株式会社の漂流を楽しみにしてください。

 

 

 

ご精読に感謝!

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編27

 この漂流記、英国での生活を綴った前編が33話、そして帰国後の後編も27話となった。読者がごく少数なのも知りながら良く続けて来られたものである。そのごくごく少ない読者の皆様、私のこの駄文にお付き合いいただき本当にありがとうございます。この章を持ちまして最後とさせていただきます。

 

 さて、レズリーの訃報をメールでもらい、あまりにも突然で予期もしなかった事態、KAZは、単なる落胆では済まないほどの悲しみで憔悴し、一人泣き暮らさなければならなかった。一年ちょっと前に会えた時は、あんなに元気だったのに、何故?という気持ちを拭えないでいた。行く前は、70歳をわずかに超えた年齢だと思っていたので、もしかしたらという思いは確かにあった。でも実際に会った時は、30年前と少しも変わらぬ若さと美しさを保って現れたレズリーに驚き、そして喜んだのである。だからあまりにも突然の訃報は信じられないことだったのだ。

 

 エドワードのメールには、「Keep in touch!」ならぬ「Staying in touch!」という文字が記されていたが、それは今後もということ。すぐにKAZの気持ちを書いたお悔みのメールを返す必要があった。書きたい事は、山ほどありましたが、長文になっては不味い。何度も推敲して心のこもったお悔みにする必要があった。

突然すぎて残念ながら葬儀には参列出来ない。そのことも詫びなければならなかった。

 その為に、「今は行けないけれど、折を見て必ず行きます」という事を伝えなければならなかった。

そこをKAZは、「必ず会いに行きます!」と表現したかった。英語の苦手が一生直らないKAZである、正しい英文かどうか?添削が必要だった。

 会社は、うれしいことに人材に恵まれている。自称ではあるが、トーイック800点超えが二人いる。その内の一人に早速添削を依頼した。

すると

「社長いいですか?会いたいってなんですか?相手の方は亡くなっているんですよね!」

 「ああ、そうだよ!」とKAZ。

 「おかしくないですか?亡くなっている人に会いに行くなんて!それじゃオカルトですよ!」

 『・・・・・・・、こいつは英語が出来ても、人間が出来ていない?』とKAZは思った。

「あのな、それが日本人の心なんだよ!日本の心!いいから文法だけ、チェックして!」とKAZ。
Sagurada
 

 「駄目ですよ!相手にしたら、社長は、亡くなっていることをまだ理解出来ていないと思いますよ!」

と絶対折れない。

 「お前なー!トーイック800点かなんか知らんけど?」

「ウワー!もういいよ!全部お前に任せる!」

と言ってKAZは結局、匙をなげた。

 

 この件、皆様はどう思われますか?

英語力の話ではないんですよ!心情の問題です!

私(失礼KAZ)は、今でも「会いに行きます!」で通じると思っています。

だって、映画でもゾンビがいたり、臨死体験があったり、クリスチャンの国でも、死後の世界はあると思うんですよ!この感情は、日本人だけのものではないと思うんです。

 

それでも「通じないよ!」ときっぱり断言できる方がいらっしゃったら是非、ご一報ください。

そうなら、やっぱり私(失礼KAZ)は根本的に英語に向いていないと諦めます。

私(失礼KAZ)は、根っからの、生粋の、まぎれもない日本人だと判断します。

もう、頭にきたので、これにて帰国編は終了!

 

えっ?これで終わり???変な終わり方(笑)

ということで、この中途半端な状況では終われないのでもう一章だけ追加します。あしからず!

 

To be continued

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編26

 30年ぶりで訪れた英国。2つの大きな目的は、墓参とレズリーに会うこと。長い間果たせず、心に刺さったままの棘のようなもやもやを解くこと。その目的を果たし、晴れ晴れとしたついでに、折角靴の聖地にきたのだからと、ノーサンプトンにある靴の博物館や主だったメーカーを巡って、靴の聖地の伝統の息吹を体に染み込ませることが出来たKAZ。

Photo

昔だったら想像も出来ないが、少しだけ根性が座ってきたKAZは、オーダーの高級紳士服店が並ぶロンドンのサヴィル・ロウのストリートに行き、飛び込みで営業活動を行った。このストリートの名前、日本では背広の語源になったのではないか?という、服飾関係者では有名な場所だ。ビスポークが主体なだけに敷居が高く、飛び込みの営業など、すぐに追い出されるかもと覚悟を決めていたが、結果そんなことはなく、持参したカタログをもっと呉れと言われるほど、やさしく応対をしてくれた。もちろん急な訪問で、成約まで漕ぎ着けることはなかったが、靴の本場にも日本製の靴を売り込める可能性を感じることが出来た。

久しぶりついでに、自分へのご褒美にと本場でゴルフをし、さらに羽根をのばしてバルセロナのサグラダファミリアまで見学し、帰路に就いたのだった。

 

 帰国後のKAZ、この頃のKAZは地元商工会の会長という要職を請われて就いており、会社以外の仕事も抱えていた。決して優良企業とは呼べない会社であり、会社経営を放り投げるわけには行かない。しかしKAZも間もなく60歳。いつまでも『俺が!俺が!』と頑張ったところで、若手を育てることを疎かにしていては、次なる発展も生まれず、KAZ自身が老害と呼ばれるようになってしまう。『任せられることは任せる!』そうしないと若手も育たない。会社の歴史が70年を過ぎた今は、いくらKAZの祖父が興し、代々身内が経営して来たとは言え、すでに会社は公のものになっている。

娘を二人持つKAZは、KAZが英国に行ってから悩んだ命題!そう今まで『何故自分で自分の生き方を考えてこなかったか?』ということ、それと同じ思いを娘たちにさせてはならないと考えていた。

もう一つ、ウイリアムが考えていたかも知れないこと。KAZも親バカの一人なのだ。『可愛い娘に、自分のような苦労はさせたくない!』と考えているのだ。

 

時折訪ねてくる銀行の支店長が聞いてくる。

「社長!後継者はどうされるお考えなんですか?」と。

KAZは答える。

「一番は、私にやらせてくれ!というのが現れること!」

「もしかしたら、娘のどちらかが、それを言う時がくるかもしれない。その時は、その時!」

 

KAZは、そんなことを考えながら、少しは会社を留守にして地元の仕事をする方が、かえって若手の為と考えはじめていた。そんな20171021日、一通のメールが届いた。驚いたことに差出人は、ウイリアムの三男エドワードからのものだった。

 

親愛なるKAZ

私が最後にあなたと連絡を取ってから長い年月が経ちました。

お知らせするニュースが良くないのは、本当に残念です。

1012日、悲しいことに、私たちの母、レスリーは心臓発作で突然亡くなりました。

KAZには分かってもらえるよね、

アンドリュー、ジェームスと私自身と残された家族にとって辛い時間が流れました。

 

彼女はいつもあなたのことをとても考えていて、

あなたが最近英国を訪問するために立ち寄ったくれたことをとても喜んでいました、

彼女は本当にあなたが私たちと過ごした時間を

とても懐かしく思い出し、楽しんでいました。

1025日水曜日、葬儀がアールスバートン教会で行われます。

  私たちは、あなたの心が、その日、私たちと一緒になることを知っています。

将来、あなたとまた連絡を取り合うことを楽しみに願っています。

 

KAZには、あまりにも突然のこと、ウイリアムの時と同じで駆け付けることは叶わなかった。

 

約束の25日の葬儀の日、KAZは、英国でのこと、レズリーとこと、皆と暮らしたバーカー家での生活などを思い出しながら、三人の息子たちと同じ悲しみをもって、心だけはアールスバートンの教会へと向かわせた。

 

「レズリー!ありがとう。あの時の一年間、私を三人の息子と同じように大切に見守ってくれたね!」

「一年前に行かなかったら、また後悔が増えてたね!神様が会わせてくれたんだね!」

「ウイリアムによろしくと伝えてね!ウイリアムと仲良く暮らしてね!」

「機会があったら、また会いに行くからね!」

そんな言葉を、一人社長室から英国に向けて語りかけ、大粒の涙を流すKAZだった。

To be continued


| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編25

ウイリアムのお墓の前に、KAZは一時間ほどたたずみ、そして様々のことを思い出しては語りかけた。大事な質問もあった、『なぜ会社を三人の息子たちに委ねなかったのか?』ということ。答えてくれるわけがない。それは生前にウイリアムが決めたこと。KAZが口を挟む問題でもない。ただ残念なのは、この30年の間に、バーカー社は転売が繰り返され、経営者が次々に変わったことだ。社名は残っている。でも果たして『バーカー一族が築いた伝統は守られているのか?』それが、KAZの気がかりな点だった。 

『リアル・シューマン』と尊敬された三代目のアルバートから教えを請い、技術提携を結んで学んだ靴作りの哲学。芸術家肌だったウイリアムからのデザインの提供。それらを長い間、受けながらもKAZの会社では、到底バーカー社の技術には追い付けなかった。KAZにしてもそうだ。1年間の贅沢すぎる研修を受けた。包み隠さず学ばせてもらった。しかし、30年たった今でもそれを生かし切ってはいなかった。

だから、KAZは誓った!バーカー社の創業以来の靴作りに対する哲学『革に勝る素材なし!熟練された職人の手に勝る機械なし!』を受け継ぐと。たとえ自分が死んでも会社が守って行きますと。

30年前に一年間の滞在を終え、別れの場でウイリアムに注がれたウイスキー。その別れの酒を飲みながらKAZは大泣きに泣き、ウイリアムもつられて涙目になった。その時を思い出し、KAZは大粒の涙を流しながら墓前で別れを告げた。

「また、いつか必ず会いに来ます!」と。

 

ウイリアムのお墓のある共同墓地を後にしたKAZは、早速、今回のもう一つの目的だあるレズリーの住む場所に向かった。聞いた話では、町の中心にある教会を挟んで、道路際の大きな白い屋敷に住んでいるとのことだった。近くまで行ってみると白い家が数件並んで建っていた。一番大きい家に目星をつけて門の前まで行ってみたが肝心な表札がない。不審者寸前の行動で、玄関の中を覗き込むと、フロアーにレズリーの名前を記した封書が見えた。『ここだ!』と確信したKAZはベルを鳴らした。「ハーイ!」と声がし、白金の髪の一人の女性が現れた。

『レズリーだ!』30年前と少しも変わらない、美しいレズリーがいた。

はじめ、レズリーは怪訝そうな顔をしていた。それもそのはず見知らぬ男の突然の訪問である。30年の間にすっかりと髪は禿げ上がり、おまけに髭まで蓄えている不審な男の突然の訪問である。

「Lesley! I am KAZ!」というと

怪訝顔だったレズリーの顔が一瞬にして笑顔に変わった。「ワオー」と言い合い30年ぶりの抱擁となった。 

レズリーは、その白い大きな屋敷に一人で住んでいた。使用人を使い、大きな裏庭は手入れの行き届いた様々なバラの花で覆いつくされていた。それを見たKAZは『ほっと』していた。ウイリアムを失い、会社も手放し、貧しく暮らしているのではないことが分かったからだった。三人の息子たちのことを尋ねると、次男のジェームスと三男のエドワードは、アメリカに住んでアパレル関連の仕事に就いているとのことだった。「長男のアンドリューは?」と聞くと「地元のレストランでコック」と浮かない表情。30年前にも少しぐれ気味だった長男。今でもレズリーにとっては悩みの種のようだ。

日本からレズリーの為に持参した少しばかりの手土産にも喜んでもらい、レズリーからはすっかり成長し、孫までいる家族の写真を見せてもらいながら至福の時間が流れた。
Photo
 

年齢的に反抗期で、シャイで夜中に一緒にたばこ吸い、猟銃の打ち方を教えてくれた長男アンドリュー。君とは、スイスでスキーに行った時は、ディスコで一緒にナンパもしたね!

まじめで秀才肌。レズリーにそっくりで会社を継ぐのは彼かな?と思っていた次男ジェームス。君とは一時バーカー社の営業マンになっていた頃、東京でカラオケを一緒に歌ったね!

30年前は、小学生。茶目っ気があって、ウイリアム譲りの芸術家タイプだった三男エドワード。あれっ、今はすっかりボールドヘッド(はげ頭)?私と同じ!やはり30年の歳月は怖ろしい!

 

名残惜しかったのだが、そう長居もしていられない。当時お世話になったお礼を改めて述べ、再会を果たした喜びと感謝を言ってレズリーの家を後にした。別れ際にレズリーは、『よく来てくれた!』とうれしそうだった。

そして思い出したようにいった言葉

 「なんかKAZ!あなた昔と違って、随分しゃべるようになったのね?」

KAZは、嬉しいような恥ずかしいような気持だった。未だに、流暢な英語など使えやしない。英語力は逆に落ちている。でも大人になったんだ、少しだけ。そう根性が座った根性英語でしゃべったんだ。

 

補足 何故、ウイリアムは三人の息子に自分亡き後、会社の経営を委ねなかったのか?

KAZは、こう考えている。漂流記の前半でも語っていることだが、KAZが滞在していた頃の英国経済は最悪だった。その為、ウイリアムが経営上、苦労している姿をKAZはそばで見ていた。新社屋を建設する段になっても、そのことを後悔していた。KAZの帰国後も会社の経営状況はそう大きな変化はなかったようだ。次男と三男は学校を卒業後、確かに一時、バーカー社に入り、それぞれの仕事に就いていた。しかし、その後、ウイリアムが癌にかかり、余命を宣告されるに及び、今後、経営を息子たちに委ねるかどうかを悩み、最終的に出した結論だった!幸いこれも以前記したように、バーカー家は資産家であり、このまま経営を続け資産を減らし続けるよりも、経営から手を引き、息子と愛するレズリーには、幾ばくかの資産を残してやる方を選んだのではないかということ。父親のアルバートと違い、どちらかというとデリケートで芸術家タイプのウイリアム。そのやさしさ故に、自分がしてきた苦労を可愛い息子たちにはさせたくなかったと考えれば合点がいく。

 

To be continued

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編24

人は、生まれ育った故郷の他に、どの地を第二の故郷と呼ぶのだろう?生まれ育った土地を故郷と呼び、それ以外は故郷とは呼べないものなのか?転勤を繰り返す者にとっては、それぞれの土地を故郷と呼べるのか?旅好きが、訪れた土地の景観に惚れ知己を得て、その後、何度も訪ねたくなる地をさすのか? 

KAZにとっては、英国ノーサンプトン州アールスバートンという小さな町が第二の故郷となった。26歳から27歳までたった1年間過ごした町。KAZを家族同然のように迎え入れてくれたバーカー一家が住む町。Poor KAZ!』と呼びながら、ずっとKAZを見守ってくれたバーカー社のある町。楽しいこともたくさんあったが、それ以上に苦しく辛い経験を与えてくれた町。他では決して得られない経験をさせてくれた町。

この町を離れてから30年が経過していた。本来なら頻繁に訪れなければならない場所なのにKAZには、それが出来なかった。この間、ドイツやフランス、イタリアやスペインなどには数回、訪れていた。しかし、訪れなければならないこの場所には、何故か?たどり着けなかった。

恩を感じていればいるほど顔向け出来ないという思いが重くのしかかっていた。その重圧を押しのけるのに30年という長い年月が必要だった。

Photo_2

201672日、KAZは、ロンドンの空港でレンタカーを手配し、まっすぐにバーカー社に向かった。会社に行けば、以前のオーナーであるウイリアムのお墓の場所もレズリーがどこに住んでいるかも分かると思ったからである。その場所を知らないということが、『Keep in touch』という約束を疎かにしたことのツケである。

オープニングセレモニーに招かれた新社屋の前には、ファクトリーショップが新しく建てられてあった。早速、店のスタッフに2つの質問をした。しかし、どちらの質問にも答えてもらえなかった。いじわるをされたのではない。会社の秘書室まで電話を入れ、聞いてくれたのに分からなかったのである。やはり30年の月日は長すぎた。名前こそ、バーカー社そのままであるのに、経営者は何度も入れ替わっていた。現在の従業員にとって、30年前、オーナーであり社長であった人物は忘れさられていたのであった。KAZは、そのことで一抹の寂しさと長い時間を置いてしまったことで、自責の念にかられていた。

途方に暮れようとした時に、町の中心にある教会まえの小さな商店街のはずれに花屋があることを思い出していた。「あの花屋さんに聞けばなんとかなる!」と。

 

 30年前と同じように花屋はあった。店の中に入ったが、人影がない。大きなな声で、来訪を告げた。すると2階から中年の女性が降りてきた。

 「すみません!」

「以前、そこのバーカー社のオーナーだったウイリアム・バーカーのお墓、場所知りませんか?」

 「実は、私、30年前にここに住んでいた者なんですが!」とKAZ

するとその花屋さんの女性が

 「知ってる!」「私あなたのこと知ってる!」

「えっ!本当ですか?」KAZは、びっくりしていた。

 

その後、KAZは、お墓の場所とレズリーの住居を聞き出し、手向ける為の花を包んでもらっている間、花屋さんの女性とひとしきり この町が変わっていないことや、当時日本人は珍しかったことなどの話をし、感謝の言葉を述べて店を出た。この花屋さんが知らなければ、本当に途方に暮れるところだった。

 

そして、漂流記の第一章の場面である。ウイリアムのお墓に語りかけたのは、30年も遅参したことのお詫びと滞在中に受けた御恩に対する感謝の気持ち、そしてこれからの決意だった。

KAZの頭の中に、30年まえの思い出が、走馬灯のように駆け巡っていた。無我夢中なKAZ。可哀そうなKAZ。靴作りを学ぶKAZ。ノイローゼ気味のKAZ。友人に助けられたKAZ。今後も靴業界で生きて行くことを決意出来たKAZ。

そんなKAZを暖かく最後まで面倒みてくれたウイリアム。もしウイリアムがいなかったら4日目には日本に逃げ帰っていたKAZ。なんとか逃げ帰ることはなく、踏み留められたのは、ウイリアムとその家族、そしてバーカー社の社員のお蔭。

Kaz_2

KAZは知った。26歳という大人であるべき自分は、あの時、あまりにもちっぽけで、子供で、世間知らずで、根性も無く、忍耐強くも無く、何も表現出来ず、ただ流されていたんだと。

だから、『1年間、靴の聖地ノーサンプトンに滞在していました!』などと人前で生意気なことなどとても言えない自分だったと。ただ流されてこの地を踏み、流されて過ごし、流されて他人に迷惑をかけ、流されながら様々なことを経験し、少しだけ大人になれたんだと。

『だから滞在なんかじゃない!漂流だったんだと!』

 

 

To be continued

 



| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編23

 一度書き出すと、だらだらと長い文章になってしまうのが、私の悪いところです。気が付いてみたら帰国編も23章目になってしまいました。ほんの少しの読者しかいないことも重々承知の助と何度も申し上げております。残り数章でKAZの漂流記に決着をつけたいと思います。

Photo

 

 KAZが会社と自身の集大成と勝負に打って出たオーダーシステム。結論を申し上げると大成功を遂げることになりました。(パチパチパチ!)---筆者としても感慨ひとしおです(涙)。

大をもう一つ付けたいほどの成功です。当初の計画では、取扱店舗100店舗、月の生産数が500足を目標としておりました。開発から15年が経過した現在、その目標を大きく上回るほどまでに成長し、すっかりKAZの会社の『花形商品』になり、宮城興業という社名も広く知られるまでになりました。(感謝!)

 

 しかし、話を開発当初に戻すと、このオーダーシステムも船出に関しては、順風満帆では、決してありませんでした。抵抗勢力が意外にも社内にいたという事だけお伝えしておきましょう。この開発秘話をお伝えするとまたまた長~い文章になってしまいそうなので機会を見てあらためてお伝えしたく存じます。

 

 驚いたことは、このオーダーメイドシステムを上梓した翌年に、会社では過去最高の利益を出すに至りました。そして長年苦しんでいた債務超過から脱出することも出来たのでした。(パチパチパチパチパチ!)

 

 座礁などの危険を避けつつ、沈没だけは避けようと必死の思いでKAZの会社はここまで頑張ってきました。まだまだ順風な航海とは言えず漂流に近い航海かもしれません。しかし、最大の危機をなんとか乗り越えることが出来ました。しかし、しかし、またまた『禍福は糾える縄の如し』なのであります。

 

そこにまた新たな問題が待ち受けていた。世にいう2007年問題である。戦後まもなくに生まれた、いわゆる団塊の世代の人たちが、一斉に60歳の定年を迎えるのである。最初KAZは、この問題を軽く考えていた。というよりも人件費が高いベテランが定年を迎えればそれだけ経費を抑えられ、経営的には良いことと捉えていたのであった。

 しかし、ある日社員名簿を眺めながら、その定年を迎える人達のリストを整理していると驚愕の事実に行きついたのです。当時の、何割にもあたる人が対象者だったのです。それも熟練された職人たちでした。

 「これじゃー、靴つくれなくなっちゃうじゃん!」

思わずKAZの腰が浮きました。

 早急に、人員を補充する必要がありました。すぐにハローワークに求人を出したのですが、待てど暮らせどらせど一向に求職者は現れない。世は買い手市場。つまり不景気の為、求人が少なく求職者がハローワークに溢れているのにであります。

 「何故????」

KAZには、思い当たる節がありました。バブル経済崩壊以降2度のリストラをした会社である。給与の引き下げもした会社。長年ボーナスもない会社。しかもいつ潰れるかもしれないと噂になる会社。世間での評価は最悪。特に地元では誰もがしっている事実なのでありました。

「そうか!こんな会社に来る人はいないか?」KAZはため息をつくしかありません。

ただ決してあきらめないのがKAZのいいところであるのです。東京や大阪には靴作りを教える専門学校が出来ており、どこも定員を超える生徒が集まっていると聞く。ならば当社で靴作りがおぼえられればとのアイディアで早速ホームページに『働きながら靴作りを学べます!』とやったところ効果抜群。遠くは大阪や京都、岐阜や静岡、更には岩手や青森というところから靴に興味がもった若者が入社してきたのです。

 この時のケースにも敢えて作戦名をつければ、

『遠くの親戚より近くの他人』の逆をいく『近くの会社情報を知っているより遠くの靴好き作戦』

KAZが詐欺師に見えてくるので、やっぱりこの作戦名は止めておいた方が良いかも知れません。しかし、この時に入社した社員たちが現在のKAZの会社の主力メンバーに育っていることを考えれば、あながち詐欺とも言えないのかもしれません。

 

 そんなこともありながなんとかKAZは会社の経営者として、すべて順調とはいえないまでも航海を続け、2016年、KAZが英国から帰国してから30年が経とうとしていました。帰国した翌年にバーカー社の新社屋のオープニングセレモニーに招かれたのを最後に一度も英国の地を踏むことはありませんでした。若手も育ち幾分余裕が出てきたKAZには思うところがあったのです。

 それは、「30年前のあの時、お世話になったウイリアムは何歳だったんだ?」

考えてみれば一度も年齢を聞いたことがなかった。「ウイリアムとレズリーは何歳違い?」

三人の息子を持ち、長男のアンドリューは確か16歳か17歳。「二十歳とちょっとで長男を生んだとして、40歳ちょっと?・・・」あれから30年が経過している。

「あれ?もしかしてレズリーって70歳ぐらいってこと?」

 

 KAZは考えていたのです。あれだけお世話になったバーカー夫妻。世話になったのにウイリアムが亡くなっても墓参りにも行かずにいる恩知らず!そしてこのまま生きている間にレズリーにもお礼の一つも言えないままの恩知らずで良いのか?と。

「いつ行くんですか?」「今でしょう!」

 

 20167月、30年の歳月を経て、やっと、そうやっと、KAZの心に刺さっていた棘を、もやもやを、取り除く時が来たのでした。

 

To be continued

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編22

Photo_2

物を作る会社、製造業。経済学では第二次産業と区分される。メーカーとも呼ぶ。その製造業にとって仕事となる注文を数量で把握するのか?金額で把握するのか?はまちまちであろう。一つの仕事で何億円にもなる巨大プロジェクトなら金額で把握し、その仕事を取った営業マンはヒーローだ!でも11足コツコツ作り、販売する靴製造業の場合、1足の注文ではなかなか喜べない。3万足の注文ともなれば「ブラボー!」と叫んで大喜びだ。そう『量の呪縛』。メーカーならば持って生まれた宿命とも言うべき『量の呪縛』。

 

利益を上げることが難しい量産よりも、確実に利益に結び付けられる多品種少量生産に舵を切ったKAZの会社であった。それが、日々作り手である社員にとっては苦痛になっているというのである。そりゃ同じものを作り続ける方が容易いし品質だって安定させられる。社員にとっては、面倒くさいという気持ちではなく、間違えたり品質を落としたりして会社に迷惑を掛けたくないという気持ちがあったのだ。

 

 しかし、もしそんな社員の気持ちを考えて、また量産を志向する会社にもどったら会社はどうなってしまうのか?ただでさえジリ貧なのだ。量産という響きの水は甘そうに見えて決して甘くないのをKAZは知っていた。経営者であるKAZがそれを知っていながら社員の気持ちに流されてしまったらどうなるのか?

 

 KAZは、決めたのだ。大きな大きな決断をしたのだ。そう『量の呪縛からの決別』

これからは、決して量を求めない。経営者である自分がそう決めて、絶対にぶれてはいけない。

 

 その証を社員に示す必要があった。このままジリ貧を続けるのではなく、大きく舵を切ることを。

会社には60年以上の歴史があり、コツコツ真面目に技術を磨いてきた歴史がある。

バーカー社からは長年に亘り英国本場の技術を教えていただいた歴史がある。

50周年時に、前社長の提案で開発したBASIC35というサイズバリエーションの靴があった。

そして何よりもKAZには、靴の本場・英国ノーサンプトンで1年間学んだ経験がある。

帰国後には、ファクトリーショップの店長になり、オーダーで失敗という経験もある。

当時『あまちゃん」だったKAZも20年という歳月を経て少しは『大人』になった。

 

 『さあ!そろそろその集大成と行こうじゃないか?』

『失敗や苦難を乗り越えて掴んだ経験の集大成さ!』

 

KAZは2004年、46歳の時に、会社と自身の集大成をもって勝負に出たのである。

 

システム名⇒謹製誂靴(きんせいあつらえぐつ)=The Original Custommade shoes System

ブランド名⇒和創良靴(わそうりょうか)

 

そう多品種少量生産でも靴の最小単位である1足作りのオーダーメイドシステムを上梓したのである。

1足作りを会社の売りにしてしまえば、少量生産など当たり前。

逆転の発想を用いて、社員に『KAZの並々ならぬ決意』を知らせようと打って出たのであった。

 

To be continued

| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編21

「日本という国は、いつからこんな国になってしまったんですか?」

「日本人は情というものを捨ててしまったのですか?」

「戦国時代に血で血を争う戦いを行っていた時でさえ、戦いに勝った方は敗れた相手に情は掛けていたんじゃないんでしょうか?」

Photo_2

「まして忠義を貫き、功を上げたものには恩賞を与えこそすれ、足で蹴飛ばすようなことはなかったですよね!」

「バブル経済崩壊の殺伐とした経済環境の中で『勝ち組・負け組』という嫌な言葉が飛び交い、新自由主義的な政策で、『自由な競争こそが経済的繁栄を生む』とは言っても、ルールもくそ(失礼)もないいんですか?」

「これじゃ、まるでプロレスのバトルロイヤルじゃないですか?」

今回の非情なオファーにKAZは完全にぷっつん来ていた。

 

KAZは、思った。

「必死で考えた戦略や会社の持っている技術や特色をフルにつぎ込んで、取引先の要求に応えてきた!」

「確かに売る方よりも買っていただいている方の立場が優位なのは理解します!」

「でもですよ?でもそこまでいじめるんですか?」

「確かに、確かに、多少は利益は出ました。前年より!」

「でもまだ債務超過の状態は続いているんですよ!」

「少しはこんな会社に情けを掛けてくださいよ?」

「・・・・・・・・」

「バカヤロー!」

 

そんなことを思ってみても詮無いこと。結局は力の問題だ。KAZの会社の靴が売れていると知れば、ライバル会社がこぞってバイヤーを訪れて、次はこちらにと日々競争しているのが現実だ。そうゆう激烈な競争社会の時代になったのだ。一度の作戦成功で次の手を打つことを怠った自分が悪いと考えるしかないのだ。

 

しかし、このままでは会社を続けることは出来ても同じ状態が続くだけ。這い上がるどころか、立ち直ることも覚束ない。『なんとかせねば!』とKAZは、抜本的な戦略の見直しを迫られた。まずは、利益が見込める多品種少量生産に特化しそれを極めることにした。展示会に出展し、そのことを強烈にアピールした。そして極めて少ない注文、例え1足の注文でも作ると覚悟を決めたのである。

 

確かにそのアピールが聞いて、今までにお付き合いのなかった会社からの受注が取れるようになった。そしてそれらが確実に利益に結び付く仕事になった。KAZが一人その成果に自信を見せる中、工場からは不満が噴出しだしていた。考えてみれば、同じものを作り続けることの方がどれだけ社員にとってやり易い仕事になるか?KAZは、会社存続という事が最優先で社員の気持ちとはかけ離れた経営手法に舵を切っていたことに気付かされた。気付いてはいたのだが。

 

『ほっ、ほっ、蛍来い、こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞ』

 

本当にこっちの水は甘いのだろうか?そしてあっちの水は?

メーカーの宿命とも言うべき『量産』を求める心。

『量産』 非常に魅力的な言葉だ。今時3万足の注文ともなれば表彰ものだ!

しかし、利益は出ない!

でも『量産』は、やり易く、ダイナミックな仕事だ!

また大物を釣り上げれば、しばらくの間は持ち堪えられる。

では、小物の駄目なのか?味は美味しいんじゃないのか?

このまま大物の一本釣り狙いでやっていって、いつまで会社は生き残れるのか・・・?

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えーい!」

 

KAZは、大きな大きな決断をした。

『量』というメーカーにとって、いや、メーカーの経営者にとっての呪縛

その『呪縛からの解放!』

経営者自らが腹を固める時が来たと感じていた。

 

To be continued


| | コメント (0) | トラックバック (0)

KAZの靴の聖地・漂流記、帰国編20

2001年の社長就任。そして同じ年の取引先の倒産から2年が経過した。相変わらず経営状態は厳しかった。

しかし、その厳しい中で社員たちは必死に働いていた。もちろんKAZも必死で戦っていた。会社を牽引する社長は決して諦めてはいけない。諦めた時に幕は下ろされる。だから諦めずに戦い続けなければならない。

英国から帰って20年近い年月を経て、さらに様々な経験を積んできたKAZには、思うことがあった。

 厳しい状況下で必死に働き、必死に経営戦略を練っている間は、余計なことを考える暇はない。一日中必死で働けば体も相当に疲れる。だから熟睡。以前のように英国での辛い体験の夢を見ることもなくなった。そして眠れないなどということもない。目の前の課題に必死に取り組むとそのような効果も生まれてきた。

Photo

現在の状況下で26歳で英国に渡ったばかりのKAZであったならば、疾うに白旗をあげていたであろう!

そうあの時のKAZは相当な『あまちゃん』だったから!

『あの苦しかった英国での滞在があったから!』

『そうノイローゼ寸前になるまで病み、悩みに悩んだ経験があったから!』

そしてその結果、

『どんな苦難が待ち受けていようと、会社経営を引き継ぐ!と自分の意志で決めることが出来たから!』

 KAZは、簡単に諦めるような男ではなかった。自分でもたくましくなったと自覚していた。

 

 この頃のKAZの会社では、一年間で3万足の受注につながる取引があった。デザインはわずか12点。カラーは黒と濃茶でほとんどが黒。しかし、もちろん大量の注文につながるので価格は低価格。この商品の生産で利益を生むことは難しかった。

なので利益を生み出す為に、もう一方で、利益の取れる多品種ながら少量の生産に注力することにしていた。他のメーカーでは少なすぎてやりたがらない注文でもKAZの会社では、

『どんなに少量でも生産できますよ!』作戦で仕事を拾っていたのだ。

生産の柱になるのが3万足の受注。利益面で柱になるのが少量生産。この2本柱が経営を支えていた。

 

日々資金繰りに追われていた時のような逼迫した状態ではなくなっていたが、とにかく黒字経営を続けて行かなければ、支援している金融機関から、いつ最後通牒を告げられるか分からない状態。まだまだ債務超過の状態が続いていた。

その状況を少しだけでも改善する意味で、KAZは3万足の仕事に手を加えるよう指示を出した。低価格で利益が見込めない状況にメスを入れたのである。新しい商品の提案を求められたタイミングで今まで取り扱っていない価格の商品で勝負を掛けたのである。

相手先では、この価格では数には繋がらないだろうと予測だったが、結果1年間で今までと同じ3万足の販売を達成しベストセラー商品となったのであった。価格を上げた分、利益を生み出す3万足に変わった。改善策が見事的中し、黒字額が増えたと喜んでいた時に1本の電話があった。

1年で相当利益が出たはずですね!次回納品から2割コストを下げてくれませんか?」

相手先からの非情とも言えるオファーの電話であった。

 

To be continued


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »