カテゴリー「社長のつれづれ独り言」の記事

初めてのパンプス

またまたご無沙汰の社長です。
古くからのとても恐〜い友人(いろいろと弱みをにぎられている)に頼まれて
とても断り切れず私の靴人生で初めてパンプスを作る事になりました。
その靴がこちら
Cimg0583 シープスキンのスエードでカラーはパープル
写真は若干濃い目に写っていますが
ハデな色であることは間違いありません。
なかなかコーディネートし難いと思いきや
これが意外と合わせ易いと
その友人はおっしゃいます。
おしゃれとは難しいものです。




さて、本来はガチガチの紳士靴が得意の当社ですので、このようなパンプスは作っておりません。それにヒールの高いものは、身体に良くないというのが私の考えでもありますので、
作りたくもな〜い!というのが本音なのですが、
それがその冒頭にも言ったようにいろいろと断れない理由もあるもので・・・。
足が細い(Cウィズ相当)・外反拇指・前にスベって踵が浮く・ヒールの高さは6cm以上
「それを全て改善していままでにない履き心地の」という、さらに難題まで押し付けられてそれも「NO」と言えない状況。そこで色々工夫しました。
Cimg0585 つま先にパンを貼ってヒールの高さからくる傾斜を軽減。外反拇指に対応するためにラスト(靴型)にも独自の工夫。もちろん細さも含めて忠実に足形を再現。踏まず部を思いっきり絞って前へ滑らないようにもしました。縫製以外は、ラスト作成からまとめも底付けもすべてCimg0588 私が責任をもってやらせていただいた次第です。なにせ、恐いもので。手作り感もしっかり出させていただいております。

さて、その靴を見せて履いてもらっての感想ですが、足に吸い付くようで、なんらストレスを感じない本当に今までにない履き心地に仕上がっているという高い評価でした。(ほっとひと安心)
これ虚飾は一切なしの本当の話です。

しかし、その後続いて出て来た言葉が、パンとヒールの
「カラーを替えてコンビの靴をすぐ作って」
ですって。
この執拗な攻撃に私はいつまで耐えられるのでしょうか?
ちなみにこの恐〜い友人。
時々ニューハーフや外国人に間違えられるんです。
そう、風貌からして恐〜いんです。
トホホ・・・。

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日本は「でか足」???

ちょっとばかり前まで、日本人の足は甲高・巾広(こうだかばんびろと発音)!と
良く言われていました。現在でもそう思っている人は多いと思います。
しかし最近は、生活習慣も変わったことから、若い世代を中心に欧米人並に巾が狭くほっそりした足の人が増えているというのが事実です。
もはや靴合わせの専門家であるシューフィッターの間では定説になっています。
でも、本日の話は人の足のサイズの話ではありません。
9月21日付の朝日新聞「天声人語」にエコロジカル・フットプリント(生態系を踏みつける足跡)のことが掲載されていました。この足跡とは、生活をまかなうのに必要な耕作地・海・森林などの面積のことを言うのだそうです。
なんでも世界中が日本人と同じ生活をしたら地球が2.3個分必要になるんだそうで、世界では29番目の大きさだそうです。
また、本来の足の話にもどりますが、「バカの大足・まぬけの小足」なんて言葉を聞いた事ありません?
足の大きさには人それぞれありますけど、無駄な生活を続けて「無駄にでか足の国・日本」などと呼ばれたくはないと思いました。

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本当、うれしいっス!

油断すると、時というものは、「あっ」と言う間に過ぎていくものです。
「あっ」と言っている間にまたひと月が経ってしまい遅筆堂が復活してしまうのです。
何かネタがないものかと思い悩んでいたところ
本日、本当にグッドタイミングで最高にうれしいメールをいただきました。
「神様・ありがとうございます」
それが、これです。
Kutu1_2 もともと当社のST・リラックスの靴のファンだそうで
すでに何足も購入していただいているとか!
さらに今回、写真の靴
姉妹品のナンジョダールの靴をお買い上げいただきました。
うれしいのは、その靴をアレンジして履いていただいているということ。
メールの文面にはこのようにありました。
宮城興業さんの靴はとても履き易くいつも愛用させていただています。ただ惜しむらくは、かわいさが足りない。どこかやぼったい。そこでこんなアレンジをしてみました。
そう、その通りなんです。
私・社長はじめ社員一同全員が(◆そ)まじめなので
色気が足りないというか、よくお客様にそう言われます。ハイ。
「しかし、アレですよ、こんな風にしていただければ、ほらねハイ、こんなにも素敵な靴になるじゃないですか、ほらね!」
というわけで、おしゃれというのはやはりその人の感性が大事ってことでどうでしょう?

「しかし、アレだな、オイ、担当者!」
「これを機に、アレンジ大会とかオーダー靴の品評会とか企画してみてはどうだ!」

※ふざけた文面になってますが、メールお送りいただいた方には丁寧にお礼の返信をしております。

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私のメル友、黒澤君!

私のもとに、去年の5月、1通のメールが届きました。

「こんにちわ
僕は○△町に住んでいる黒澤(くろさわ)といいます。脳性まひで車いす生活です。
足が変形していて今は靴をはいていませんがテレビを見て作ってほしいと思いました。
いろんなリハビリ靴を試したのですが痛くて履かれなくてそのまま置いてあります。
それに履くと足が痛いのもあるのですが、32歳なので見た目が気に入りなくて履くのがいやなのもありまして会社で自慢できるような靴をお願いしたいなと思いメールをしました。

僕は歩くわけではないので、足を保護するために履くのでよろしくお願いします。
一回伺います。」

黒澤

そして、作ったのがこの靴
Kurosawa それに対する途中の要望と完成後の感想がこれ

「僕も分からないのですが
僕の足の形にあってて、なおかつはいててかっこよく見える形といってもよく分からないでしょうけど
サイズ測ったときに相談したいと思っています。
よろしくお願いします。」

「とても履きやすくどこにいても履いてます。
前は、とくに右足の指が履くときに丸まって痛かったけど全部開くからそんな事もなく、快適です。」

そんなわけで、その後しばらくは喜んで毎日この靴を履いていてくれたようですが、ついこのあいだ、こんなメールが

「黒澤です。実はくつずれを起こしてしまいました。見てほしいのですが、○日の午後か、△日の午後に行きたいと思っています。」

そんな、彼に対して私は「黒澤君は歩かないだから、くつづれするわけがないんだけどな!」などと失礼な言葉で平気で返信してしまいます。

約束した日に黒澤君は、おかあさんの車に乗せられてやってきました。
黒澤君のおかあさんは、車から車いす一式を段取り良く降ろし、助手席に座った黒澤君を抱きかかえて車いすまで運び、座らせたりとすべて一人でこなしちゃう、とてもたくましいおかあさんです。

早速、くつづれしたという足を見たらやはり両足の指の上部が1ケ所づつ赤くなっていました。
おかあさん曰く、指が少しづつ変形しているので最近になって当たるようになってきたとのことでした。2〜3日靴をお預かりして調整することとしました。

黒澤君とは文字のタッチパネルを使って会話します。右手の小指1本を起用に動かして文字を打ち込みます。
おかあさんが、自分の靴を買い物している間、しきりに黒澤君は私に話しかけてきます。
Panel

黒澤君の友達に、ながとも君という子がいるそうです。
毎日、ゴム製の長靴を履いているそうです。というより何故だか一年中長靴しか履かないんだそうです。
黒澤君のお母さんを見つけると「で〜ぶ、で〜ぶ」と囃し立てるそうです。(黒澤君のお母さんは決して太った方ではありません。)お母さんにきいても、何故、ながとも君が長靴しか履かないのか、その理由はわかりませんでした。

黒澤君が
またまた、小指1本で私に何か話しかけてきます。
「ながともくんにもくつをつくってあげてほしいな」
「ながくつしかはけないからかわいそうだもん」
と書いてありました。

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山形県民は雑草しか食べません!

最近よくお客さんに「社長の所、宮城県だと思ってたら違うんですね〜!」と言われる。社名が宮城興業だからというのもあるんだろうが、意図は別のところにあるらしい?
「山形県だったんですネ、山形県!」
「はい、山形県です。」
「あの〜、雑草を食べる山形県!」
どうも、このオチを言いたくてわざと宮城県から振っているとしか思えない!
Hatake (左の写真が私の畑。自然をそのまま活かす農法を実践中なのでどれが野菜でどれが雑草か分からないようにしてある)

某・日テレの某「ひみつのケンミンSHOW」のおかげですっかり山形県民が雑草を食べていたことが、全国民に知れるところとなってしまった。
このまま、「雑草も食べる」ということで収まれば良いのだが、うわさがうわさを呼び「雑草が主食」とか「雑草しか食べない」などと広まってしまったら、私は二度と営業に出かけられなくなるのでこれ以上、山形=雑草という概念が定着しないことを希望しいる。
(これまでひたすら隠していたのに!誰がカミングアウトしたん
だ?)


Suberihiyu (右の写真の茎が少し茶色をおびているのがスベリヒユ!茄子は食べずに観賞用!)
(ウソだぞ〜!)

この雑草、山形では「ひょう」と呼んでいますが、正式には「スベリヒユ」といいます。私が丹精込めて育てている野菜の廻りにもたくましく生育しております。
山形では、干したあとに戻して油揚げなどと一緒に炒め物などにして、おいしくいただいております。ギリシャなどではサラダにして食べているらしく、利尿効果などもあり生薬にしているところも有るようです。

先日、山形県初の女性知事が名古屋で大手企業に対して企業誘致の為のプレゼンを行い
山形県民の特徴として「ブレない」「素直」「あきらめない」の三つを上げ、粘り強く仕事に打ち込むという県民性を強烈にアピールしたという。
山形の人を表現するには、私も「まさにその通り」と膝をうったのでしたが、
出来たらどこかに「雑草のように」と入れてくれたらもっとウケただろうに、
とも思ったのでした。
でも、アレか?  
「山形県民は、雑草しか食わないから粘り強いんだ!」なんてうわさが広まりますか・・・?


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執筆再開決定!「誰がハゲじゃー!」記念!

いやー本当に2年と半年あまり、ブログに書き込むことなく時を過ごしてしまいました。
全国の私のブログファンの皆様お待たせをいたしました。ついに待望の再開を果たす事が出来ました。(涙)        この間、何をしていたか?
ご心配をお掛けしたことと存じますが、何〜!たいした事はございません。
ちょこっと幽閉(軟禁)されてただけでございます。

そんな訳であんなにフサフサだった髪も抜け落ち、ヒゲもぼうぼうです。
現在はこんな感じ!                                        
Caz しかし、あれですね!皆さん「ハゲ」ってコンプレックスと思っている方が多いんだと思うんですけど、ぜんぜん、「んなぁことぁない!」ですからね〜! 今、私は人生初のモテ期に突入しているような気持で、しょうがないんですヨ!アッハッハ!
皆さんもすでに話題の村上春樹の『1Q84』読んだでしょ!
主人公の青豆が仕事の後のストレス解消の為に物色する相手は
ショーンコネリーばりの「ハゲ頭」が最高だって〜アレですヨ!

 当社・あべ画伯の絵  いるんですヨ〜! 世の中にはその道のフェチが!
てなぁ訳で、コンプレックスなんて微塵も感じていませんので!
そこんとこヨロシク!
んでもって、当社の社員はこれ又すばらしく社長である私を強烈にリスペクトしているんで〜アッハッハ!
普通の会社だったら、陰で「あの〜ハゲがさぁ〜」とか言ってるんでしょうが、当社に限って言えば絶対にそんなことがない!
またまた、アッハッハ!

 いや〜この前もですね〜、携帯の塗装が剥げてみっともないもんだから、「携帯までハゲちゃたよー」って言ったんですよ。
そしたら「社長!そういうブラックなジョークは、社員の前では言わないでください!」って言うんですよ。そうか、みんな俺を本当に尊敬してるんたな〜!とつくづく感じましたね!
アッハッハッハッハ!

んなぁ訳で、元気でいますし、今後は、まぁ頻繁に執筆しますんで、これからもヨロシコ!
な〜んてね!アッハッハ!

担当「あのハゲ〜!最近性格変わってねー」
社長「バァロー!誰がバゲじや〜!」

注・この話もフィクションです。

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社長降臨?

読者「社長がまたブログ書き始めるってうわさを聞いたんですが、本当ですか?」
担当「誰がそんなうわさを?」
読者「だってSTリラックスの方のブログに-社長はじめ-って、書いてありますよ!」
担当「うっふぇ〜、しもた〜。あのハゲめっちゃ遅筆堂なんよ〜」

社長「バァロー!誰がバゲじや〜!」「頻繁に書きゃいいんだろ〜、書きゃ〜」

どうやら、2年数ヶ月ぶりに社長がブログに投稿する気配?

担当「社長、条件つけますから!クリアしたらにして下さい」
社長「なんや?条件って」

コメント1. 社長のブログを待望していた。   3点
コメント2. まあ、いいんじゃないの。     2点
コメント3. どーでもいい。          4点
コメント4. 絶対拒否             -100点

担当「3日でコメントの所の投稿で30点超えたら書いても構いませんよ!」
社長「おんどりゃ〜!社長に条件つけるとわ〜、なんぼのもんじゃ〜!」

注・この会話はフィクションです。

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宮城興業の隠された歴史 第三話

その当時、禁じ手ともいえる荒業(アラワザ)
「酒のディスカウント・ストア」で勝負に出た明良であった。

◆◆私の祖父であり宮城興業の創業者・高橋明良◆◆
そもそも明良とはどんな男だったのだろうか?

 明良は明治35年11月3日、まさに文化の日というよき日に宮城県石巻市で、海産物問屋をしていた彦兵衛の長男として誕生した。だが明良が生まれたころから店の経営がかんばしくなくなり、3歳のときついに店を閉めてしまった。そのころ明良はおじ(父の兄)の彦太郎に養子としてあずけられていた。
 両親はその後、北海道に仕事をみつけて出て行き、養父は警視庁の巡査を志願して東京に出て行った。もちろん明良も一緒である。このため小学校は東京の千駄ヶ谷小学校に入学したが、巡査の転勤がはげしかったので、小学校だけでも5回もかわり、卒業したのは浅草の富士小学校だった。それからお茶の水の京華中学を卒業し、帝大(いまの東大)の予科である第一高校に上位で合格した。なにせ兄弟もなく、両親も遠く離れているさびしさを勉強でまぎらしていたし、養父もりっぱな人に育てようと学問にはとくにうるさかった。養父は法科をすすめてていたが、明良は文科を選んだため、意見が対立して、二人の間にはみぞができてしまった。ちょうど1学期の終りごろだった。いっそのこと重くるしい養父の家をとびだして大陸にいこう!と大志を抱いて家をとびだしてしまったのである。
 そのころ実父は北海道から石巻市に帰って酒の販売をはじめていた。実母なつは明良が9歳のときに他界し、母の妹を継母に迎えていた。
 東京の養父の家をでてきた明良は石巻にきて荷物をまとめ、汽車にのって大陸へ出発しようとしたとき父にみつかり、むりやり家に連れもどされてしまった。そしていやおうなく家業を手伝わされることになった。
 それからまもなくして養父だった彦太郎が警視庁を退職して石巻に帰って来たのである。退職金を資本にゴムグツの販売をはじめるのだという。大正10年、当時としてはゴムグツははじめてだった。おじは「これからはゴムグツが時代の要求であり、人のやらない商売をすれば必ずもうかる」と自信をもっていた。ゴムグツはおじの想像以上の売れ行きをみせた。わずか3年の間にりっぱに店を改造し、支店も3ケ所にひらくという破竹の勢いでのびていった。
 明良は景気のよいおじの商売にまけまいと酒の販売に力を注いだ。関東大震災のあった大正12年、明良は1年志願兵として歩兵第四連隊に入隊した。その年の9月13日、家の大黒柱である父が突然死んでしまった。このため家では明良の除隊をいまやおそしと待っていたのである。家には継母のほかに弟の正(当時11歳)を頭に兄弟5人がいた。いちばん末の慶子はまだ乳飲み子である。明良は軍隊の教練などで家族の将来を考えている余裕もなく軍務についていた。こうして翌年の4月、ようやく満期除隊となった。家に帰った明良の前途に待ち受けていたのは生活苦と不況のあらしであった。
【昭和40年 産経新聞山形版掲載 社長一代より】

To be continued.

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宮城興業の隠された歴史 第二話

明良のアイデアからなる「酒屋の新しいビジネスモデル」
「ディスカウントストアー」への鞍替えは一見順調かにみえました。
掛け売りだったものが現金収入に変わったことで
初めのうちは仕入れもスムーズに廻っていたのです。

しかし、その区域の同業者からの妨害は執拗でした。
石投げ行為はその後も続き、さらには造り酒屋に圧力をかけてきました。
おかげで区域内の有名所の地酒は仕入れが出来なくなってしまいました。
仕方なしに県境を超え、山形まで行き、馬車に酒樽を載せて
運ばなければならなくなってしまいました。

この頃の明良の店で売っていた酒は「水っぽい」という噂があったようです。
祖父がしていた商売で偽装の疑いがもたれているわけですから
私もそのままに捨ておけないと何度か調査をしてみました。

子供ながら店を手伝わされていた明良の長男、つまり私の父の記憶では
店の裏で酒樽に水を足す明良の姿を目撃したことが有るとか?無いとか?
自分でも足したことが有るのやら?無いのなら?
親戚が集まった酒宴で昔話しに花が咲き出すと
「水を足すことを業界用語では『玉を入れる』と言うのだ」と
不敵な笑いを浮かべては微妙な証言を繰り返しております。

醸造用アルコールも添加されていない米100%で造られた
「山形のおいしい地酒」をこよなく愛している私には
水増しされたお酒の味は知る由も無く、あったら絶対に飲まないと思いますが、
明良の店はなんら影響も無く繁盛を続け、
ニュービジネスは比較的順調に推移していたようであります。

 当時日本は世界恐慌、続く欧米のブロック経済化のあおりをうけ
 昭和6年には満州事変の勃発
 ついには昭和12年7月7日の盧構橋事件を発端に
 日中戦争へと突入。
 ますます孤立化し物資が極端に不足していた日本は
 国家総動員法を制定し戦時統制経済を導入する。

統制が始まるとほとんどの店の店先からほとんどの商品が姿を消すこととなりました。
明良の店も例外ではありませんでした。
では本当に商品はなかったのか?
いや明良の店だけは例外だったようです。
統制の下では、昨年の実績に基づいて配給が行われていました。
明良の店は、現金商売に変えたことで
薄利ながら相当量の物品を販売していたようです。
なので他の店の数倍いや数十倍の商品を扱うことが出来たようです。
しかし、それを素直に店先にならべるほど人の良い明良ではなかったのです。
店先では「ない!ない!」といってお客を帰していながら
事情を知った人には裏で足元を見て商売をしていたのでした。

この時代のどさくさにまぎれ
明良は当時のお金で5万円ほどを溜め込んだと言われています。

 こんな人の孫でありながらこんな悪知恵は持ち合わせていない私でありますが、
 親戚が集まったおりに、この祖父の遺伝子を一番多く受け継いだ人間はということになると
 一斉に私を指差します。
 トホホ・・・

To be continued.

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正式発売・宮城デンのお知らせ

本日、宮城デンの詳細をようやくUPしました。
告知してから大巾に時間が掛かったことをお詫び致します。

私の思い入れの強いこの宮城デンですが、
その謂れやこだわりについてはお手数ですが、
過去のブログをご欄ください。

面倒な人は当社の社史を
そのままここに
載せますのでじっくりお読みください。

-宮城興業株式会社社史-
副題『誰も知らなかった宮城興業の隠された歴史』

宮城興業の歴史をお話しするにあたり
何故社名が『山形県』にありながら『宮城興業』なのか?
その一番の謎を解かなければなりません。
話は昭和初期まで溯(さかのぼ)ります。

東京での学業を終え、故郷に帰ったばかりの
宮城興業の創業者・高橋明良(アキラ)は嘆くのでした。
家業の酒屋(造り酒屋ではなく小売り)を継いだものの
金がなければ仕入れも出来ないと。

当時、ほとんどの商いは掛け売り(現金払いでない)でした。
なので
「なんぼ売ったって全然金にならんやないけ!」
(場所の設定は宮城県石巻ですが雰囲気を出す為に関西弁にしてます)
「こんなことやったら満州へでも渡ったほうがましとちゃうか?」
本当にそんなことを考えていた様です。

そんな悶々とした日々の中で明良の頭には
ひとつのアイディアが浮かんだのです。
そのアイディアとは「決して開けてはならなかったパンドラの箱」に似た
「商いの禁じ手」とも言うべきものだったのです。

「当時商いの禁じ手」=『酒のディスカウント・ストア』です。
簡単に言うと「安うするからその代わり必ず現金な!」という話です。
なんとすばらしい発想の転換でしょう!(さすが私の祖父)

それを始めてからは
近所の同業者から店に石を投げつけられる日々、
覚悟はしていたものの予想以上の展開。
しかし、そんなことには明良はめげることなく
さらに前進する為、広告用のチラシを作り
東京からチンドン屋を呼んで勝負にでました。

『座っていて壱万円儲かる方法』
明良が考えたチラシのキャッチコピーでした。
当時の壱万円は現在の貨幣価値でいえば数千万円。
当店で買い物をすれば
◎酒一升が◯◯円  1年で◯◯円の得。
◎みそが◯◯円  1年で◯◯円の得。
◎醤油が◯◯円  1年で◯◯円の得。
コピーのあとにはそんな説明書きの文字がならんでいました。
つまり1年の合計で◯◯◯円
×◯◯年でトータル10,000円の儲け

どうですこの言葉のマジック(さすが私の祖父)

その日から明良の酒屋の前の行列は絶えることがなかったと言います。

こんな調子でいつ宮城デンの話とリンクするやら
トホホ・・・
To be continued.

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